レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015/01/16
- 登録日時
- 2015/12/04 14:27
- 更新日時
- 2016/01/15 11:21
- 管理番号
- 埼熊-2015-085
- 質問
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解決
中世(関東地域)の城の笹曲輪(ささぐるわ)について、形や機能(役割)を知りたい。図・絵が併記されているものが望ましい。
※曲輪(くるわ)は郭(くるわ)とも書く
- 回答
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記述のあった以下の資料を紹介した。
『日本城郭大系 別巻2 城郭研究便覧』(平井聖〔ほか〕編集 新人物往来社 1981)
p252「笹郭」の項あり。
「小さい郭という意味だが、本丸が片隅に寄って堀切や急崖のような要害地形を背にする梯郭式(ていかくしき)の城によく用いられる。本丸の外側に取り付いて、本丸が直接城外に露呈するのを防ぐ機能を持つ小郭である。」とあり。関東に限った説明ではない。
『日本城郭大系 5 埼玉・東京』(平井聖〔ほか〕編集 新人物往来社 1979)
p167「鉢形城」の項の中に「笹郭があり」とある。詳しい説明はない。
p168「141 鉢形城要図」の中に「笹郭」あり。場所がわかる程度の図。
『日本城郭大系 4 茨城・栃木・群馬』(平井聖〔ほか〕編修 新人物往来社 1979)
p323「名胡桃城」の項に「7名胡桃城要図」あり。「ささ郭」の位置がわかる。
p324「箱崎城」の項に「ささ郭」の記述あり。「ささ郭は本丸面より五m低く、上下二段に分かれ、下段はさらに三m低く、「はねつるべ」と呼ばれる。」とあり。
p366「白井城」の項に「城の基本形は梯郭式で(中略)本丸の南には一辺一五mの三角 形のささ郭が付く。(中略)西下を回ってささ郭に出る虎口が北下にあったのだが、現在は崩落して(後略)」とあり。
p444「平井城」の項に「西はニの丸とささ郭が南北に並ぶ」とあり、「172平井城要図」で位置がわかる。
『群馬県古城塁址の研究 下』(山崎一著 群馬県文化事業振興会 1972)
p76-81「320 白井城」の項
「所謂ささ曲輪で、梯郭式の城には必須の設備であるから、武州鉢形城、平井等の諸城にもその名が残っている。ささ曲輪は一辺一五mの三角形で、南端に櫓台があり、これも野づら積みの石垣で基部を被服されている。」「ささ曲輪へは本丸から腰曲輪に下って行くようになっていたのを(中略)想像する」とあり。
巻末附図313「320白井城」の中には該当なし。
p88「平井城」の項に「ささ曲輪は小さい郭の意で、鉢形城、白井城等梯郭式構造の城によく見られるもので、本丸の外側につき本丸が直接城外に暴露するのを防ぐ」とあり。
『武蔵野 合本5(11・12)昭和3年1月-10月』(武蔵野会編 原書房 1971)
p471「笹曲輪、捨曲輪(すてくるわ)等は、所謂馬出(うまだし)曲輪、又は横矢曲輪(よこやぐるわ)の一種であって極めて重大なる任務のあるものです。他の諸門にも、皆此等の設備が無ければならぬと思って居ります。何うか之れを明かにし度いものです。」
- 回答プロセス
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その他調査済み資料
『国史大辞典 15 下 索引』(国史大辞典編集委員会編 吉川弘文館 1997)
『日本城郭辞典』(鳥羽正雄著 東京堂出版 1971)
『図説中世城郭事典 1 北海道 東北 関東』(村田修三編 新人物往来社 1987)
『城郭事典 探訪ブックス「日本の城」 10』(小学館 1989)
『日本城郭事典』(秋田書店 1983)
『秩父路の古城址』(中田正光著 有峰書店新社 1982)
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本の建築 (521 9版)
- 参考資料
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- 『日本城郭大系 別巻2 城郭研究便覧』(平井聖編集 新人物往来社 1981)
- 『日本城郭大系 5 埼玉・東京』(平井聖編集 新人物往来社 1979)
- 『日本城郭大系 4 茨城・栃木・群馬』(平井聖編修 新人物往来社 1979)
- 『群馬県古城塁址の研究 下』(山崎一著 群馬県文化事業振興会 1972)
- 『武蔵野 合本5(11・12)昭和3年1月-10月』(武蔵野会編 原書房 1971)
- キーワード
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- 城
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000185110