レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011年10月01日
- 登録日時
- 2012/01/25 16:17
- 更新日時
- 2012/06/05 13:23
- 管理番号
- 埼熊-2011-147
- 質問
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解決
和宮が京から江戸への道中で、群馬・埼玉に宿泊した際の記録を見たい。
群馬・埼玉での宿泊所は、安中宿、本庄宿、桶川宿だったと記憶している。
- 回答
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『中山道安中宿本陣文書』(安中文化会 1972)
p865「姫宮之通行:和宮」の章に、埼玉県・群馬県を含めた和宮の江戸下向に関連する史料あり。
宿泊地の坂本宿等が件名に入るものもあり。「急廻状(松井田宿より坂本宿迄 文久元年)」など
- 回答プロセス
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埼玉県について調査する。
本庄宿
『本庄市史料 5』(本庄市教育委員会 1965)
p222「文久元年十月和宮様御下向小山川船打立入用帳」
『本庄市史料 7』(本庄市教育委員会 本庄市史編集室〔編〕 本庄市教育委員会 1972)
p149「文久元年十一月和宮様御下向御伝馬人馬議定帳」
『本庄市史拾遺 7 江戸時代の本庄宿』(市史編集室 1968)
p65-68 柳田孝司著「和宮御降家と本庄 特に堺屋日向家との関係」
和宮下向の際、実母観行院が本庄宿日向家に泊まった記録。付人の人数、下賜された品物の目録。
『田村本陣休泊控帳 中山道本庄宿 4 文政-文久』(長谷川勇編 さきたま出版会 2007)
p1462-1464「文久元年辛酉年十一月十一日 仁孝天皇皇女〈御休泊割御触書留ニ記ス〉和宮様 御旅館」
和宮が本庄宿の田村本陣に泊ったときの記録。献上品、付人の名前・役職を書いたもの。翻刻。
熊谷宿
『熊谷市史 後篇』(熊谷市史編纂委員会編 熊谷市 1964)
p48-51「和宮の下向」に、「幽嶂閑話」の引用あり。
『幽嶂閑話』(林有章著 林有章 1935)
p3-5 「和宮降嫁について」の項あり。熊谷宿の様子について記述あり。
ただし、林有章の生没年は1859-1945年。和宮降嫁は1861年。
p50「府川氏所蔵日記」の引用あり。
『くまがや古文書選 2』(くまがや古文書学習・研究会編 くまがや古文書学習・研究会 2000)
「和宮様御下向ニ付定助郷并当分助郷心得」(影印・活字)・「和宮様御下向・御通輿ニ付関東御取締御出役様より御締筋御触書」(影印・活字)
2点とも和宮下向に際してのお触れ等についての記述。
桶川宿
『桶川市史 1 通史編』(桶川市 1990)
p362-366「和宮下向と桶川宿」の項あり。
『桶川市史 4 近世資料編』(桶川市 1982)
p510-526 和宮下向に関する資料、5点掲載あり。
その他の地域
『岩槻史林 15』(岩槻地方史研究会 1984)
p10-24 中村守著「「和宮出役日記」について」あり。
和宮下向の沿道警護(神流川-上里町あたり)のために出張した藩士の記録。
『所沢市史研究 6』(所沢市史編集委員編 所沢市史編さん室 1982)
p23-36 長谷川正次著「文久元年の和宮助郷」あり。
和宮下向に関連し、所沢市域の村落に要求された助郷負担の動向について記述あり。
『蕨市史調査報告書 3 和宮様御下向御用日記留』(蕨市編 蕨市 1987)
蕨宿での準備等の記録。
『蕨市立図書館郷土資料集 1-14』(1970.8-1976.2)
「9集 和宮様ご降嫁蕨宿ご通行に関する資料(その二)」があるが、宿泊の記録ではない。
『草加市史協年報 10』(「草加市史協年報」編集会議編 草加市史編さん協力会 1991)
細谷猛夫著「文久元年の和宮御下向を坂本宿にみる」収録。
p73-76 天馬人足の指示書や一般住民に対する達示が掲載されているが、「*資料は松井田町誌」とあるのみで、文書名等の記入はない。
《埼玉雑誌記事索引》を〈和宮〉で検索。
『熊谷郷土会誌 4号』(国書刊行会 1984)
口絵「和宮様関東御下向行列図」あり。
p4-28「和宮様の御下向」に、熊谷泊まりの日にちについて、宰相典侍庭田嗣子のお側日記の引用あり。
『埼玉史談 5-1』
p41-44「和宮下向奉迎役奉仕者鈴木安房守之邦のことども」に、和宮奉迎委員長鈴木安房の短歌あり。
『岩槻史林 第34号』
p14-27「皇女和宮降嫁の意義 和宮下向中山道道中警備岩槻藩」
『埼玉自治 445号』
p59-63「和宮下向 -中山道史上最大の通行-」に、熊谷宿の助郷の様子あり。
『埼玉自治 330号』
p65-68「公武合体と和宮御降嫁」に、「和宮は十一月上野より本県に入られ、児玉郡本庄宿に宿泊、十一日熊谷宿、十二日桶川宿、…」とあり、本庄宿の 人足・馬の数、桶川宿の宿泊者の数にも触れている。 ただし、出典不明。
群馬県について調査する。
『中仙道板鼻宿』(川島一郎著 板鼻史蹟保存会 1972)
p299-300「和宮降嫁中山道御通過の際 板鼻地内国道盛砂敷砂利施行設計書(写)(細野氏所蔵)」の収録あり。
『群馬県史 通史編 5 近世』(群馬県史編さん委員会編 1991)
p715-「和宮の下向と警備」の項あり。
『新編高崎市史 通史編 3 近世』(高崎市市史編さん委員会編 高崎市 2004)
p779-〈和宮の下向と高崎宿〉あり。
「和宮の高崎宿通行の様子について具体的に書き記した史料は、今のところ手にすることができない。」とあり。
『碓氷峠の歴史物語』(小林収著 櫟 1997)
p59-68「皇女和宮御下向」の章あり。引用されているのは「松井田町誌」「坂本宿本陣文書」。
和宮に関係する資料を調査する。
『続日本史籍協会叢書 〔2〕2 静寛院宮御日記』(日本史籍協会編 東京大学出版会 1976)
「静寛院宮御側日記」(和宮とともに下向した宰相典侍庭田嗣子の日記)
p26「文久元酉年 11月9日 坂本宿に宿泊 10日 板鼻宿に宿泊 11日 本庄宿に宿泊 12日 熊谷宿に宿泊 13日 桶川宿に宿泊」とあり。
『皇女和宮と中山道』(依田幸人著 信毎書籍出版センター 1985)
p35-36に「この道中における和宮のご一行の休息・宿泊した宿駅は次のとおりである。」とあり、宿泊地の日程あり。
これによると、群馬・埼玉での宿泊所は「坂本」「板鼻」「本庄」「熊谷」「桶川」の5ヶ所。
『維新史料綱要 3 安政5年7月-文久元年12月』(東京大学出版会 1983)
p493「文久1年8月25日」の項に、「幕府、伊勢亀山・彦根・大垣・名古屋・上田・高遠・松代・小幡・伊勢崎・高崎・桑名・姫路藩に命じ、(中略)沼田・飯田・ 安中・高崎・岩槻・岡部・忍・福山・古河藩に令し、通輿の沿道を守衛せしむ。」とあり。
宿を調査する。
『近世宿駅制度の研究』(児玉幸多著 吉川弘文館 1965)
巻末索引に〈和宮〉なし。巻末資料目次の文久1年に、関連資料なし。
p588-620「補遺4」の、「御行列御先御跡御警衛」が『群馬県史 通史編5』の記述に相当する。他に旅館建設や旅宿割等についての文書あり。
p469-「三ヶ宿御拝金他借口々其他書上帳」にも〈和宮〉の名は見えるが、これは下向の際の借金についての文書。
『日本都市生活史料集成 8 宿場町篇』(原田伴彦〔ほか〕編 学習研究社 1977)
「和宮中山道御下に付御用留」が収録。(中津川宿・落合宿(岐阜県))人足や馬、物品などの手配書。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 9版)
- 参考資料
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- 『中山道安中宿本陣文書』(安中文化会 1972)
- キーワード
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- 静寛院宮(セイカンインノミヤ)
- 埼玉県-歴史
- 桶川宿
- 熊谷宿
- 本庄宿
- 照会先
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- 群馬県立文書館
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000100542