レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016/12/16
- 登録日時
- 2016/12/17 00:30
- 更新日時
- 2017/01/04 15:25
- 管理番号
- 1000000889
- 質問
-
解決
松崎馬場があった場所と競馬が行われていたかを知りたい。
- 回答
-
以下の資料を提供した。
①
『那覇の史跡・旧跡』(那覇市歴史博物館 編、那覇市、2014.3)
p92 「松崎馬場跡」の項目で、「所在地:首里当蔵町1丁目地内」の記述と地図がある。
②
『那覇市史跡・旧跡ガイドマップ』(那覇市歴史博物館 [編]・刊、[出版年不明])
「82 松崎馬場跡」の表示がある。
③
『那覇市史 資料篇 第2巻中の7』(那覇市企画部市史編集室 編、那覇市役所、1979.1)
p660 「松崎馬場(現在の英語センターの近く)」の記述がある。
④
『消えた琉球競馬』(梅崎 晴光 著、ボーダーインク、2012.11)
p146 「『那覇市史』には、〈首里には王府御用の馬場が崎山村に崎山馬場、龍潭池の側に松崎馬場があったが、一般には規模の大きい識名村(現那覇市繁多川)の識名真地、平良村(現那覇市首里大名町)の平良真地が利用された。競馬といっても馬をとばすのではなく「脚組(あしくま)す」といって早足(一本の脚は常に地につく走法)で勝負させた〉と記されている。」の記述がある。
p150-151 「…首里に目を移せば王家(尚家)の御用馬場だった松崎馬場と崎山馬場がある。松崎馬場は近世王朝時代、首里城北に位置する龍潭の東岸に設けられていた。…競馬の舞台ではなく、琉球王朝による公式行事の会場として使用されたのだろう。崎山馬場は歴代の琉球国王にこよなく愛された「馬揃え」の舞台、紛れもない競馬場である。」の記述がある。
⑤
『沖縄建築 第41号』(沖縄建築編集委員会 [編]、沖縄県建築士会、2011.5)
p32 「58 松崎馬場跡」の項目で、「冊封使をもてなし宴が行われた」の記述がある。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 九州地方 (219 8版)
- 参考資料
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- 1 那覇の史跡・旧跡 那覇市歴史博物館∥編 那覇市 2014.3 K299/N27 p92
- 2 那覇市史跡・旧跡ガイドマップ 那覇市歴史博物館∥[編] [那覇市歴史博物館] [出版年不明] K299/N27 82 松崎馬場跡
- 3 那覇市史 資料篇 第2巻中の7 那覇の民俗 那覇市企画部市史編集室∥編 那覇市役所 1979.1 K23/N27/2-2-7 p660
- 4 消えた琉球競馬 梅崎 晴光∥著 ボーダーインク 2012.11 K78/U74 p146,150-151
- 5 沖縄建築 第41号 沖縄建築編集委員会∥[編] 沖縄県建築士会 2011.5 K52/O52/41 p32
- キーワード
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- 松崎馬場
- 御用馬場
- 馬場
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000203448