レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2009年06月01日
- 登録日時
- 2010/02/17 13:50
- 更新日時
- 2011/12/07 23:55
- 管理番号
- 市川20090601-02
- 質問
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解決
市川市宮久保(市川三中の近く)にあった軍需工場「日本機械車輛工業」の正確な名称と住所を知りたい。飛行機、船舶を製造していたとのこと。
- 回答
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『戦時下の市川市域』(市川歴史博物館/編 1997)に「主な市内軍需関連工場一覧」が掲載されており、この一覧によれば「日本機械車輛工業株式会社市川工場」(鉄道車両)がエリア的には一番近い。
そこで、この一覧の出典資料である『市川市勢要覧 昭和18年版』(市川市役所/編 1943)を見ると宮久保、曽谷(三中は曽谷のため)で掲載があったのは、「日本機械車輛工業株式会社市川工場」(宮久保95)と「熊谷製綱工作所」(曽谷1530、鋼索製造業)のみ。
ちなみに『市川市勢要覧』の昭和11年版と16年版には宮久保、曽谷の工場掲載はなく、昭和24年版には上記「日本機械車輛工業株式会社市川工場」と住所が同じなので社名変更したと思われる「市川重工業株式会社」(宮久保95)の記載があった。
『市川市勢要覧附商工名鑑 1952』の商工名鑑には該当なし。
『市川市史 4巻』(市川市史編纂委員会/編 1975)p309に「昭和14年の工場一覧」があるが、「日本機械車輛工業株式会社市川工業」のみ該当した。また、インターネットの個人サイト『貨車の玉手箱』(http://www25.big.or.jp/~t_fukuda/meiban-1/23-ichikawa.htm)によると、「日本機械車輛工業株式会社」は「市川重工業」→「旭重工業」と改称して廃業したとのこと。なお、このサイト中に参考図書として記載されていた
『機関車の系譜図3』(臼井茂信/著 交友社 1976)を県立中央図書館より取寄せ確認。「日本機械車輛工業株式会社」は東京市蒲田区に工場を開設し、1939年に千葉県市川市宮久保にも工場を新設、前者を本社と鎌田工場とし、後者を市川工場と称した。戦災で鎌田本社と羽田の分工場が壊滅。戦後再建されたのは市川工場のみで、これを「市川重工業」として独立させた。2年ほど順調に続いたが、1950年には旭重工業に変り、これも結局は閉鎖となったとのこと。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291 8版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000063558