レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013/05/02
- 登録日時
- 2015/04/15 00:30
- 更新日時
- 2015/04/15 10:09
- 管理番号
- 所沢新所-2015-001
- 質問
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解決
鯉幟をいつ、どうして揚げるようになったのか記述されている資料が読みたい。
- 回答
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下記資料に、鯉幟を揚げるようになった時期・起源・経緯などについて記載があります。
〇『日本人祝いと祀りのしきたり』 岩井宏實/著 青春出版社 2012年
〇『生活文化歳事史 第3巻』 半沢敏郎/著 東京書籍 1990年
〇『年中行事図説』 民俗学研究所/編 岩崎美術社 1975年
〇『くらしの歳時記』 古川朋子/監修 主婦の友社 2010年
〇『世界大百科事典 9』 平凡社 2007年
〇『世界大百科事典 17』 平凡社 2007年
〇『江戸の庶民生活・行事事典』 渡辺信一郎/著 東京堂出版 2000年
〇『江戸時代子ども遊び大事典』 中城正堯/編著 東京堂出版 2014年
〇『日本大百科全書 8 小学館 1986年
〇『日本の名産事典』 遠藤元男/[ほか]編 東洋経済新報社 1977年
- 回答プロセス
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1.所蔵資料の内容確認
〇『日本人祝いと祀りのしきたり』 岩井宏實/著 青春出版社 2012年
p.88-90 「端午の節句」の項に「(前略)~五月五日には、家々の軒にショウブ(昔はアヤメといった)をさし、ショウブの鉢巻をし、ショウブ湯をたいて入る習わしが昔からある。~(中略)~鯉幟も、ショウブが「勝負」にかけられて、瀧登りをする鯉のように勢いよくなるようにとの願いからである。この鯉幟の柱は卯月八日に季節の花を柱や竿の先につけて立て、神迎えをする「天道花」がもとになっているのである。~(後略)」との記述あり
〇『生活文化歳事史 第3巻』 半沢敏郎/著 東京書籍 1990年
p.181-202 「五、端午の飾り」内、「幟と鯉幟」の項に著者の鯉幟の歴史に関する検証・考察あり
下記に重要だと思われる部分を抜粋
p.199 「鯉幟の創始は~(中略)~十八世紀半ば以降のことと解すのが妥当であろう。」
同ページ 「「紙にて鯉の形をつくり、竹の先につけて、幟と共に立る事、……」とあれば、当初は古式の幟が主体で、鯉幟は添物的であった。『絵本江戸風俗往来』に、「空には男兒の繪幟・吹貫・鯉を見、……」とあれば、恐らく吹貫が空を舞う姿にヒントを得て鯉幟が草案され、それを大きく作って独立させたものと思惟される」
〇『年中行事図説』 民俗学研究所/編 岩崎美術社 1975年
p.145 「五月節供(端午)」の項に「鯉のぼりを立て, はなやかに男児を祝うのは, 江戸時代以来で古来のしきたりではない。~(中略)~幟は神を招くための招ぎ代(おぎしろ)の変化か, おあるいは忌みごもりの家を示すためのしるしから起こったものであろう。」と記述あり
〇『くらしの歳時記』 古川朋子/監修 主婦の友社 2010年
p.90 「端午の節句」の項に「鯉のぼり」の用語解説があり、「江戸時代、武家では男児が生まれたことを、のぼりをあげて知らせました。これをまねた町人たちが、紙で鯉を作ったことが鯉のぼりのはじまりだそう」と記述あり
〇『世界大百科事典 9』 平凡社 2007年
p.241 「こいのぼり 鯉幟」の項があり、「(前略)~江戸時代には菖蒲(尚武)の節供として武家階級では家紋を記した旗指物や幟や吹流し(旗の一種.輪に長い絹を張ってさおの先に結びつけたもの)を玄関前に並べたてた.これに対抗して江戸中期以後, 町人階級が武具代わりに戸外に鯉幟を立てる風習が生まれた.~(後略)」と記述あり
〇『世界大百科事典 17』 平凡社 2007年
p.465-466 「たんご 端午」の項があり、「(前略)~しかしこれらの幟類は, 元来は忌みこもりしていることの標識か神の依代に起源をもつものではないかとされている.~(後略)」と記述あり
2. 後日調査による追加資料
〇『日本大百科全書 8』 小学館 1986年
p.542「鯉幟 こいのぼり」の項に「(前略)~江戸時代、菖蒲(尚武)の節供として武家階級ではこの行事を重んじ、家紋を記した旗指し物や、幟、吹流しなどの武家飾りを、玄関前に並べたてることが流行した。これに対抗して 町人層では江戸中期以後、武具代わりに鯉幟を立てる風習が生まれた。鯉は中国の竜門伝説の故事から立身出世の象徴として親しまれ、端午の節供の菖蒲幟にも鯉の絵が描かれた。この鯉が小さな紙製となり、幟の麾(まねき 小旗)に用いられ、さらに吹き流しにつくられて独立した。~(後略)」と記述あり
〇『江戸の庶民生活・行事事典 渡辺信一郎/著 東京堂出版 2000年
p. 132「端午の節供 <初節句・初幟>」の項に「(前略)~『五節供稚童講釈』(天保2 - 1838)に、「五月五日に幟を立てて、太平の万歳を祝ふなり。幟は旗に乳(ち)を付けたるものにて、これを乳付きの旗といふ」とあり、旗の縁に竿を通す小輪が付いた布製のものである。~(中略)~幟は戸外へ立てるが、屋内に紙製の鯉を立てることは、江戸の中期頃からの慣習である。『東都歳時記』に、「座敷のぼりと号して屋中にへかざるは、近世の簡易なり。紙にて鯉の形をつくり、竹の先につけて幟と共に立てる事、是も近世のならはしなり。出世の魚といへる諺により男児を祝すの意なるべし。ただし、東都の風なりといへり」とあり、いわゆる鯉幟は、江戸の町だけの祝賀であった。~(後略)」と記述あり
〇『江戸時代子ども遊び大事典』 中城正堯/編著 東京堂出版 2014年
p.128-129 「端午の節供」の項に「(前略)~幟についても京山は、「いつの頃よりか座敷幟とて、小さく作りて座敷に飾りおくは、風雨の取り入れにもかまわず、眺めともなりて、第一は物入り薄きゆえに、町方にては大方は座敷幟を用う」と書き、国安のさし絵も座敷幟である。また、柏餅を作るそばで小さな鯉のぼりを持った男の子が振りかざして遊んでいる。いかにも江戸後期の町人らしく、合理的な節供祝いを演出したようだ。鯉のぼりは「鯉は滝をも登る」「鯉変じて瀧となる」という中国の故事から、出世の象徴として裕福な町人に好まれ、武家の吹き流しや幟に対抗してうまれた。~(後略)」と記述あり
※p.128に『五節供稚童講釈』国安 江戸後期(太平書屋)、「名所江戸百景 水道橋駿河台」広重 幕末(『浮世絵大系』)等の絵の記載あり
〇『日本の名産事典』 遠藤元男/[ほか]編 東洋経済新報社 1977年
p.243「鯉のぼり」(埼玉県)の項に「端午の節句に立てる勇壮な鯉のぼりは加須(かぞ)市が産地である。~(中略)~元来、端午の節句の祝い事は、武家が行なう尚武の習わしだった。それが、江戸中期を過ぎると、農家・商家もまねをするようになった。ただ、武家が立てる吹き流しは遠慮して、代わりに鯉のぼりを立てた。鯉は滝の激流をさかのぼって天に昇る、と縁起をかさぎ、男児の出世・健康を願った。~(後略)」と記述あり
p.593「鯉のぼり」(兵庫県)の項に「播州鯉のぼり」のと記述あり
△『日本を知る事典』 大島建彦/[ほか]編 社会思想社 1980年
p.509「端午の節供」の項に「五月五日。男の節供として、戸外に幟をたて、武者人形を飾るのは、武家の風習をつたえたもの。鯉のぼりは武家の用いた吹き流しの変形にすぎない。~(後略)」と記述あり
3.調査をしたが記述がなかった資料
×『大江戸ものしり図鑑』 花咲一男/監修 主婦と生活社 2000年
p.279 「五月」の年中行事に関する記述があり鯉幟の絵が掲載されているが、詳しい記述はなし
×『こころ歳時記』 吉元由美/[著] ディスカヴァー・トゥエンティワン 2012年
記述なし
- 事前調査事項
- NDC
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- 年中行事.祭礼 (386 9版)
- 参考資料
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- 日本人祝いと祀りのしきたり 岩井宏實/著 青春出版社 2012.3 386.1 978-4-413-04351-9
- 生活文化歳事史 第3巻 半沢敏郎/著 東京書籍 1990.10 386.1
- 年中行事図説 民俗学研究所/編 岩崎美術社 1975 386.1
- くらしの歳時記 古川朋子/監修 主婦の友社 2010.1 386.1 978-4-07-270018-1
- 世界大百科事典 9 平凡社 2007.9 031
- 世界大百科事典 17 平凡社 2007.9 031
- 日本の名産事典 遠藤元男/[ほか]編 東洋経済新報社 1977 602.1
- 江戸の庶民生活・行事事典 渡辺信一郎/著 東京堂出版 2000.7 386.1 4-490-10546-0
- 江戸時代子ども遊び大事典 中城正堯/編著 東京堂出版 2014.5 384.55 978-4-490-10847-7
- 日本大百科全書 8 小学館 1986.3 031 4-09-526008-4
- キーワード
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- 鯉幟
- こいのぼり
- 端午
- 端午の節句
- 子どもの日
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- その他
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000170865