レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013年05月15日
- 登録日時
- 2013/05/15 07:14
- 更新日時
- 2013/05/15 07:17
- 管理番号
- 20130515-1
- 質問
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解決
亀井茲矩について知りたい。
- 回答
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亀井茲矩 【かめい・これのり】 コトバンク
http://kotobank.jp/word/%E4%BA%80%E4%BA%95%E8%8C%B2%E7%9F%A9 (2013/05/15確認)
朝日日本歴史人物事典
生年: 弘治3 (1557)
没年: 慶長17 (1612)
戦国時代の武将,江戸時代初期の大名。父は尼子氏家臣湯左衛門尉永綱,母は多胡辰敬の娘という。はじめ真矩,通称新十郎。武蔵守。尼子氏の滅亡後諸国を流浪し,天正1(1573)年因幡国に来住,尼子氏再興を図る旧臣山中鹿介幸盛に従って各地に転戦。同2年,幸盛の養女を妻に迎え,同じく尼子氏の旧臣で幸盛の外舅に当たる亀井秀綱の家号を継ぐ。のち幸盛と共に織田信長に属し,幸盛が死去するとその部下を率いて羽柴(豊臣)秀吉に属した。同8年因幡国に入り,鹿野城(鳥取県気高郡鹿野町)にこもって毛利軍と戦い,秀吉の鳥取(久松山)城攻略に貢献,同国気多郡に1万3800石を与えられ鹿野城主となる。その後,九州征討,朝鮮出兵にも従軍,秀吉から琉球征服の朱印を得,琉球守と称した。・・・
<参考文献>『鳥取県史』2巻
亀井茲矩(かめいこれのり) Yahoo!百科事典[日本大百科全書(小学館)]
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E4%BA%80%E4%BA%95%E8%8C%B2%E7%9F%A9/ (2013/05/15確認)
かめいこれのり【亀井茲矩】 国史大辞典
[参考文献]
『大日本史料』一二ノ九 慶長十七年正月二十六日条、『寛政重修諸家譜』四二六、『亀井家御系譜』(津和野町立郷土館蔵)、山根幸恵『亀井朱印船私考』(『山陰文化選書』四)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 日本史 (210 9版)
- 朝鮮 (221 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 亀井茲矩 かめい これのり
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000131229