レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014/10/29
- 登録日時
- 2015/03/15 00:30
- 更新日時
- 2015/03/17 09:05
- 管理番号
- 千県東-2014-0023
- 質問
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未解決
昭和20年ごろ香取市佐原にあった「田名辺裁縫女学校(院?)」について、学校の概要や遍歴、どの地域の生徒が来ていたのかを知りたい。
- 回答
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中央図書館千葉県資料室及び東部図書館の書架をあたり、下記の資料や昭和20-25年頃の書籍を確認したが、該当する記載はなかった。
当該校で教鞭を執っていた方やその家族、当時を知る方から下記の内容を聞くことができた。
また、佐原の市街地や小野川沿いの町並みについて詳しい団体として、香取市や「NPO法人小野川と佐原の町並みを考える会」などをご紹介した。
●県立東部図書館で聞き取りした内容
・卒業生は900~1000名程度いたと思う。
・田名辺裁縫女学校は小野川沿いに学校があった。現在はない。
・当時佐原には3~4箇所の裁縫学校があった(田名辺の他、フジワラ、オオノ等)。田名辺はその中でも大きいほうの学校。生徒は通いで学んでいた。
・学校の看板は「和服裁縫教習所」だったと記憶している。
・茨城県からも学びに来ていた。数校有った裁縫学校を比較して、自分が通いたい学校を選んでいた。
・昭和20年当時というと、嫁入り前に裁縫学校へ通う人が多かった。
・通いだけではなく泊まりもいた。泊まることで礼儀作法等も学んだ。
・30名程度泊まれるようになっていた。
- 回答プロセス
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1 県立東部図書館所蔵資料を確認したが、該当の資料は見つからず。
2 県立中央図書館千葉県資料室へ問合せ。『学校名簿 1949』(千葉県教育委員会事務局調査課 1949)中、「高等学校の部」「大学専門学校の部」などを調査したが「田名辺裁縫女学校」に関する記載なし。
佐原の一番古い住宅地図『ゼンリンの住宅地図 佐原市』(住宅地図出版社 1971)p59で田名辺裁縫女学校のあった場所を確認したところ「塚原硝子店」「井上材木店」などだった。その他、昭和20年-25年の資料で学校名等が確認できる資料は見つからず。
3 元高校教諭からの紹介で、田名辺女学校の関係者や卒業生の方に問合せ。
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
- キーワード
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- 田名辺裁縫女学校(タナベサイホウジョガッコウ)
- 千葉県-香取市(チバケン カトリシ)
- 各種学校(カクシュガッコウ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 図書館
- 登録番号
- 1000169020