レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019年01月09日
- 登録日時
- 2019/05/10 16:44
- 更新日時
- 2019/07/04 10:29
- 管理番号
- 6000004261
- 質問
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解決
俳句教室で「丈草」と「市振」という言葉を耳にしたが、意味を知りたい。
- 回答
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1.「丈草」は、芭蕉の弟子の俳人。
・『俳諧大辞典』
"俳人。蕉門。内藤林右衛門。幼名、林之助。名、本常。別号、仏幻庵・懶窩・無懐・無辺・一風・太忘軒・弘句庵等。尾張犬山藩士、のち遁世。近江松本住。寛文二年(一六六二)生、元禄十七年(一七〇四)二月二十四日没、四十三歳。近江長等山麓龍ケ岡に葬る。"
・『日本史人物辞典』
"1662~1704.2.24 江戸前期の俳人。父は尾張国犬山領主に仕えた内藤源左衛門。本名内藤林右衛門本常。一六八一年(天和元)頃、黄檗(おうばく)宗の玉堂和尚につき禅を学ぶ。のち京都に出て深草に住んだ。八九年(元禄二)冬、京都に来た芭蕉に入門、その誠実な門人となった。九三年近江に移住、翌年芭蕉の臨終をみとって三年間喪に服した。芭蕉の「さび」をうけついだ第一人者といわれる。蕉門十哲の一人。"
2.「市振」は新潟県の地名で、松尾芭蕉が「おくのほそ道」の旅で立ち寄った場所。
・『日本歴史地名大系15 新潟県の地名』の「市振村(現青海町市振)」の項目に以下の記述あり。
”元禄二年(一六八九)七月一二日「奥の細道」の途次にある芭蕉は「越中の国一ぶりの関に到る」と記し、「今日は親しらず・子しらず・犬もどり・駒返しなど云北国一の難所を越てつかれ侍れば」身を横たえ、新潟の遊女二人のあわれな語らいをもれ聞く。翌日同行を懇願されたが断り、「哀さしばらくやまざりけらし」として「一家に遊女もねたり萩と月」と詠んだ。この宿は桔梗屋で、現在宿は廃業したが、家は続いている。集落南にある長円寺境内に相馬御風書の芭蕉句碑がある。”
・『入門 松尾芭蕉』に市振の風景や句碑の写真あり。
- 回答プロセス
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「市振」について
『日本歴史地名大系49 総索引』によると、宮崎県と新潟県に市振という地名あり。
『日本地名体系46 宮崎県の地名』にも「市振村(現北浦町市振)」や「市振神社」の項目があったが、俳句や芭蕉にまつわる記述はなかった。
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 俳諧大辞典 伊地知鉄男/等編 明治書院 1980年
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日本史広辞典編集委員会 編. 日本史人物辞典. 山川出版社, 2000.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002894814-00 , ISBN 4634620308 -
日本歴史地名大系 第49巻 (総索引). 平凡社, 2005.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000007628158-00 , ISBN 4582490492 -
新潟県の地名. 平凡社, 1986. (日本歴史地名大系)
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I064996114-00 , ISBN 4582490158 -
長谷川櫂 監修. 入門松尾芭蕉 : 旅に生き、旅に死した俳聖の一生涯. 宝島社, 2015. (別冊宝島 ; 2375)
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I026604321-00 , ISBN 9784800243638
- キーワード
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- 丈草(ジョウソウ)
- 市振(イチブリ)
- 蕉門十哲(ショウモンジュッテツ
- 松尾芭蕉
- 俳句
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000255935