レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014年05月02日
- 登録日時
- 2015/02/19 13:41
- 更新日時
- 2015/02/24 19:24
- 管理番号
- 0000107888
- 質問
-
解決
長州藩の参勤交代の経路について。
1.はじめは海路と陸路をとり、のちに陸路のみに変わっているが、海路でどこまで行っていたか。
2.陸路のみに変わったのはいつからか。また、陸路に変わった理由は何か。
- 回答
-
1.下記資料1~2によると、享保年間中ごろまでは、三田尻から海路を大坂まで行き、大坂からは川船に乗り、淀川を伏見まで遡って、伏見から陸路をとっている。
天候によっては、室津(宝永年間ごろからは坂越)で上陸し、尼崎で川船に乗り換え、大坂に至ることもあったとの記載がある。
2.陸路に変わったきっかけとなったのは、同じく資料1~2によれば、享保10年(1725年)、5代藩主毛利吉元が参府途中、御供船のうち天長丸が遭難、死者・行方不明者が19名に及んだという事件であったとされている。
なお、資料1には、この遭難事件に至るまでにも、天候により海路の通行に難儀していた記録が紹介されている。
- 回答プロセス
-
1 資料1を確認。
2 参勤交代の関係資料として資料2や『参勤交代』(丸山雍著 吉川弘文館 2007.7)を調査。
3 街道、海路、水路に関する資料として次の資料等を調査したが記載なし。
『日本の街道ハンドブック』竹内誠監修 三省堂 2006.6
『探訪日本の歴史街道』楠戸義昭著 三修社 2006.7
『県別全国古街道事典 西日本編』 みわ明編 東京堂出版 2003.9
『街道の日本史 42』吉川弘文館 2001.09
『近世日本の川船研究 下』 川名登著 日本経済評論社 2005.3
『近世日本水運史の研究』 川名登著 雄山閣 1984.11
『内陸水路の歴史地理学的研究』 奥田久著 大明堂 1977
- 事前調査事項
- NDC
-
- 日本史 (210 9版)
- 交通史.事情 (682 9版)
- 参考資料
-
- 1 南方 長「萩藩参勤交代の行程--瀬戸内海通行から中国路通行への移行」『山口県文書館研究紀要』通巻29号 山口県文書館 当館請求記号:Y018/K 2 p29-50
- 2 『参勤交代と大名行列』 永井博編著 洋泉社 2012.4 210.5/P 2 p106-107 , ISBN 978-4-86248-881-7
- キーワード
-
- 参勤交代
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000168018