レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013年02月15日
- 登録日時
- 2013/03/12 16:33
- 更新日時
- 2013/06/05 14:54
- 管理番号
- 埼熊-2012-263
- 質問
-
解決
小栗忠順が慶応3年1月パリに出発する徳川昭武一行に訓示した内容を知りたい。(出典:「小栗忠順のすべて」(村上泰賢編 新人物往来社)の年譜p271)
- 回答
-
種々の注意の内容について記述のある資料は見つからなかったが、会計の渋沢栄一への教示については、関連する記述のあった以下の資料を紹介した。
『渋沢栄一翁』(白石喜太郎著 刀江書院 1933)
p71-72「慶応二年十二月横浜に着いて後数日は準備に忙殺された。」に続いて、小栗上野介が横浜にいた民部大輔を訪問し、渋沢栄一と交わした会話の内容の記述あり。
『落穂ひろい 小栗上野介研究資料』(大坪指方[著] 小栗公顕彰会 1968)
p27(「小栗上野介略年譜」中)「慶応三年(1867)41歳 一月仏蘭西パリーへ出発すべき徳川昭武一行に面接して種々注意を与ふ。会計渋沢篤太夫(栄一)には特に教示するところあり。」とあり。
『幕末開明の人小栗上野介』(市川光一、村上泰賢著 群馬県高崎財務事務所 1994)
p101(「付録 小栗上野介をめぐるできごと 略年表」中)「1867 慶応3 41(歳)1月パリへ出発する徳川昭武一行に訓示する。特に会計渋沢栄一に教示する」とあり。
『プリンス昭武の欧州紀行』(宮永孝著 山川出版社 2000)
p16「昭武出発に際に勘定奉行小栗上野介から内談があったパリで600万ドルの外債募集の件も、水泡に帰してしまう。」
p106「日本を出発するとき、メキシコドルで5万ドル(中略)を持参したが、それはたちまち使いはたした。フランス滞在中の経費は、フリューリ・エラールに申しでれば、必要なだけ得られる手はずになっている、と出発を前にして勘定奉行小栗上野介から内談があった。(後略)」
p25(出発前の様子)「いずれにせよ、大君の弟が行程数万里の門出の旅にでる、ということで、老中小笠原壱岐守、海軍奉行並大関肥後守、勘定奉行小栗上野介、外国奉行川勝近江守、栗本安芸守ら幕府の要人をはじめ、ロッシュ駐日フランス公使、フランス東洋艦隊のローズ提督ら大勢の見送り人が船中までご機嫌うかがいにあらわれた(昭武「御日記」)。」
巻末「徳川昭武関係年表」に、「慶応3.1.11(西暦1867.2.15)フランス郵船「アルフェ」号で横浜を出帆」とある。
『開国の先覚者小栗上野介』(蜷川新著 千代田書院 1953)
p153に小栗家の養子となった小栗貞雄が、徳川民部の遣欧について、渋沢栄一から聞いたことを語った記述あり。遣欧資金の使途についてで、訓示ではない。
- 回答プロセス
-
〈小栗忠順〉〈小栗上野介〉や〈徳川昭武〉〈遣欧使節〉等をキーワードに調査した。
その他の調査資料は次のとおり。
〈小栗忠順〉〈小栗上野介〉関連
『江戸幕府 その実力者たち 下』(北島正元編 国書刊行会 1983)
『新名将言行録 幕末維新』(榊山潤著 講談社 1975)
『最後の幕臣小栗上野介』(星亮一著 中央公論新社 2000)
『群馬県史料集 7 小栗日記』(群馬県文化事業振興会 1972)
『海軍の先駆者小栗上野介正伝』(阿部道山著 海軍有終会 1941)
『小栗上野介忠順 その謎の人物の生と死』(矢島ひろ明著 群馬出版センター 1992)
上記の参考文献から
『幕末政治家』(福地源一郎著 平凡社 1989)
《Googlebooks》を〈小栗忠順 & 遣欧特使〉等で検索した結果から
『幕末洋学史の研究』(原平三著 新人物往来社 1992)
安岡章太郞「大世紀末サーカス」( 『朝日ジャーナル 1983年11月11日増大号 p67)
『幕末遣外使節物語 夷狄の国へ 講談社学術文庫』(尾佐竹猛〔著〕 講談社 1989)
『お雇い外国人 1 概説』(鹿島出版会 1968)
『幕末教育史の研究 2 諸術伝習政策』(倉沢剛著 吉川弘文館 1984)〈徳川昭武〉から
『徳川昭武幕末滞欧日記』(徳川昭武〔著〕 松戸市教育委員会編 山川出版社 1999)
『徳川昭武 万博殿様一代記』(須見裕著 中央公論社 1984)
『日本史籍協会叢書 126 渋沢栄一滞仏日記』(日本史籍協会編 東京大学出版会 1967)出発のあたりに小栗忠順(上野介)の名は見えず。
『日本史籍協会叢書 146-148 徳川昭武滞欧記録 1-3』(日本史籍協会編 東京大学出版会 1973)
《東京大学史料編纂所DB》より
〈小栗 & 昭武〉で検索する。 維新史料綱要データベースで2件あり、ともに質問の回答には結びつかず
慶応3年9月是月「勘定奉行小栗忠順上野介等、遣欧特使徳川昭武、既に締盟各国歴訪ヲ了シ」
慶応3年11月2日「勘定奉行小栗忠順上野介在横濱和蘭商社ニ牒シテ、遣欧特使徳川昭武民部大輔ノ海外滞在費ヲ…」
〈小栗 & 民部〉で検索する。 維新史料綱要データベース他で数件あるが、内容的には以下の1件が合致
慶応3年11月2日「勘定奉行小栗忠順「上野介」、在横浜和蘭商社に牒して、遣欧使節徳川昭武「民部大輔」の海外滞在費を一个月五千弗を限り融通せんことを求む。商社代表ファン・デル・タック、書を復して之を諾す。」
『維新史料綱要 3 安政5年7月-文久元年12月』(東京大学出版会 1983)
『日本史籍協会叢書 158 中山忠能日記 4』(日本史籍協会編 東京大学出版会 1973)
『日本史籍協会叢書 166 中山忠能履歴資料 8』(日本史籍協会編 東京大学出版会 1974)
『国史大系 52 続徳川実紀』(黒板勝美編輯 国史大系編修会編輯 吉川弘文館 1991)「慶喜公御実紀」収載
『鹿児島県史料 忠義公史料 1-7』(鹿児島県維新史料編さん所編 鹿児島県 1975)
『日本史籍協会叢書 140 丁卯雑拾録』(日本史籍協会編 東京大学出版会 1972)
『土方伯』(菴原鉚次郎著 木村知治著 菴原鉚次郎 1914)
『佐佐木老侯昔日談』(佐佐木高行述 津田茂麿編 国晃館 1915)
『続日本史籍協会叢書 〔4〕5 勤王秘史佐佐木老候昔日談』(日本史籍協会編 東京大学出版会 1980)(上記『佐々木老侯昔日談』と同内容)
『徳川実紀索引 幕末篇』(吉川弘文館 1977)
『幕末維新論集 3 幕政改革』(田中彰〔ほか〕編 吉川弘文館 2001)
上記資料の参考文献から
『学説批判明治維新論』(石井孝著 吉川弘文館 1961)
《MAGAZINE PLUS》で雑誌記事を探す
〈遣欧 & 昭武〉〈遣欧 & 民部〉〈遣欧 & 小栗〉該当なし。
〈徳川昭武〉検索結果から いずれも遣欧特使についての言及なし
瀧井一博「明治国家をつくった人々(12)ヒト、モノ、そして情報-徳川昭武使節団と一八六七年パリ万博」(『本 34(7)通号396』講談社 2009)p46-49
井田進也「エドは燃えているか-パリの徳川昭武一行」(『東京人 13(2)』都市出版 1998.2 )p47-53
〈小栗忠順〉検索結果から いずれも遣欧特使についての言及なし
星亮一「徳川慶喜をめぐる人びと・「幕臣」小栗忠順-開明的勘定奉行」(『歴史と旅 25(4)』(秋田書店 1998)p64-69
南和男「江戸の名奉行篇-知られざる名奉行」(『歴史読本 47(10)通号755』新人物往来社 2002) p142-155
〈渋沢栄一〉から
『渋沢栄一伝記資料 1』(渋沢青淵記念財団竜門社編 渋沢栄一伝記資料刊行会 1955)
p440「横浜で御出立前の御世話をした人は、会計に関する人では小栗上野介」とあるが、内容については記述なし。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 個人伝記 (289 9版)
- 日本史 (210 9版)
- 参考資料
-
- 『渋沢栄一翁』(白石喜太郎著 刀江書院 1933)
- 『落穂ひろい 小栗上野介研究資料』(大坪指方[著] 小栗公顕彰会 1968)
- 『幕末開明の人小栗上野介』(市川光一、村上泰賢著 群馬県高崎財務事務所 1994)
- 『プリンス昭武の欧州紀行』(宮永孝著 山川出版社 2000)
- 『開国の先覚者小栗上野介』(蜷川新著 千代田書院 1953)
- キーワード
-
- 小栗 忠順(オグリ タダマサ)
- 小栗 上野介(オグリ コウズケノスケ)
- 渋沢 栄一(シブサワ エイイチ)
- 徳川 昭武(トクガワ アキタケ)
- 日本-外国関係-ヨーロッパ-歴史-江戸末期
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000128785