レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011年07月16日
- 登録日時
- 2012/09/06 15:15
- 更新日時
- 2012/09/06 15:15
- 管理番号
- tr240
- 質問
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解決
明治期の日光にあった郵便局について場所や数、名称を知りたい。また、当時はポストは存在したのか。
- 回答
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○日光郵便局の場所
『日光市史 下巻 近現代・民俗』の「第2章 第3節 郵便局の設置」(p61-75)によると、日光の中鉢石に「郵便取扱所」が開設されたのは、明治5年7月1日とのことです。この後、明治40年11月17日に「日光町大字日光鉢石宿八九六番地」に局舎が建てられるまで、「郵便取扱役」(今で言う「局長」)の自宅の持家を局舎として利用していたそうです。
明治36年当時の「局長」についての記録は確認できませんでした。第3代局長の入江喜平氏が前年の35年に退職しており、この方の在任時は御幸町に局舎があったとの記述はあります。(御幸町は鉢石町のすぐ隣の地区で、『栃木県營業便覧』(城北逸史/編著 全国営業便覧発行所 1907)によると、入江氏のお宅は日光警察署の向かいだったようです。)なお、『栃木縣史 第2巻 交通編』(田代善吉/著 臨川書店 1972 ※下野史談会 1933 の復刻)によると、4代が檜山小彦氏、5代が石井宗吾氏とのことです。どちらの方も紳士録等に記載がなく、住所や経歴等詳細が確認できませんでした。
○日光郵便局の名称
『日光市史 下巻 近現代・民俗』によると、明治24年3月21日より、日光郵便局は「日光郵便電信局(三等)と改称され」ました。そして、「明治三十六年(一九〇三)四月、官制改正によって、日光郵便電信局は、ふたたび「日光郵便局」の名にもどった。」(p69)とあるので、お尋ねの時期には「日光郵便局」が正式名称だったようです。
○日光にあった郵便局の数
『日光市史 下巻 近現代・民俗』の中で、日光郵便局より後に開設された郵便局等に関する記述を、以下にいくつか引用します。
(1)明治十七年(一八八四)、日光の入湯元に郵便受取所が開かれ(p66)
(2)明治二十九年(一八九六)五月十六日、中宮祠で、電信事務の取り扱いが開始された。(略)郵便の窓口引受事務がはじまったのは、明治三十一年(一八九八)のことで、そのときの名称は「郵便受取所」(p70)
(3)明治三十五年七月十一日に、日光町大字日光五一二番地すなわち入町地区に「郵便受取所」が開かれた。
正確な件数はわかりませんが、日光は観光地だったこともあり、郵便局が複数存在していたことは確かなようです。
○ポストについて
明治時代、日光にポストがあったことを示す資料(写真等)は、残念ながら確認できませんでした。ただ、『日本郵便の歴史』p208-211に、明治時代のポストについて、写真付の解説があります。この中に、
ポストの正式名称は昭和23年(1984)1月から郵便差出箱と定められました。
ポストが誕生したのは明治3年(1870)6月の郵便創業の建議のなかに集信函とあります。これが最初のものですが(後略)
とあり、また写真でも「明治20年(1887)からの黒塗柱箱」「明治21年からの春慶塗掛箱」「明治34年(1901)に赤色郵便箱誕生」「明治41年(1908)に赤色ポスト制定」とあるので、赤くないポストなら明治期にも広く流通していた可能性があります。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 関東地方 (213 9版)
- 郵便.郵政事業 (693 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 郵便局
- ポスト
- 日光
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000111015