レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2009年12月31日
- 登録日時
- 2010/01/28 10:04
- 更新日時
- 2010/12/24 12:47
- 管理番号
- さいたま-見-20100005
- 質問
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解決
「砂の万灯」祭りについて知りたい。
- 回答
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かつて、八雲神社の祭礼には悪疫退散、農作物の病虫害防除を祈願する7本の万灯が立ち並びました。
しばらくの間、途絶えていましたが、本村組が中心となり、復興に向けて取り組んでいます。
万灯の最上部に飾られる人形は、毎年出し物を替えるのがならわしです。
【参考】
・万灯……華美な装飾を施した枠の中に灯をともす「一万灯(いちまんとう)」を中心に据え、下部を朱で統一し、上部は「花挿(はなざし)」を飾り、頂上に人形を戴く。総高6mにも及ぶものだが、かつては村内を担いで練り歩いた。
・公開日-7月14日に近い日曜日
・公開場所-八雲神社(さいたま市見沼区東大宮1-13-9)
「万燈祭」ともいいます。
万燈祭は二百十日に関する祭事が多く、各地で風鎮祭として行われています。
また、盆行事として行う所も多いです。
砂地区の万燈祭はそれらと趣を異にし、夏祭りの祇園祭(天王さま)で、虫除け・豊作祈願・悪疫退治を中心とした祭りとされています。
万燈祭の起源については、貞享2年(1685)に、砂の藤助さんの家に旅で病んだ巡礼が泊り、その返礼にモロコシがらで万燈の造り方を教えられたのが起こりだと伝えられ、一説には、先祖が尾張の津島天王の祭りを見てきて、それをまねて始めたとも伝えられていますが、はっきりしたことはわかりません。
八雲神社の左側の石門に「明和七庚寅年 武州足立郡砂村氏子中」と刻まれてあることからみると、同社は江戸中期の明和7年(1770)には砂村の鎮守さまであり、その祭礼として万燈祭が行われたと推察されます。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 年中行事.祭礼 (386)
- 芸術政策.文化財 (709)
- 参考資料
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- 『大宮市史 第5巻 民俗・文化財編』大宮市役所 1969 (p796-800)
- 『砂の万灯』 大宮市教育委員会社会教育課編集 大宮市教育委員会 1981
- 『さいたま市指定文化財の紹介』 さいたま市教育委員会編集 2005.4 (p7)
- 『埼玉の民俗歳時記』 倉林正次・倉林美千子著 さきたま出版会 1980.7 (p166-167)
- 『埼玉のまつり』 国土地理協会編集 埼玉県県民部自治文化課 1989 p72-75 (由来・沿革p73 準備p73-74 本祭りp74-75 大正時代の万燈祭p74 砂の囃子連p75)
- キーワード
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- さいたま市見沼区
- 砂の万灯
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000062555