レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014/8/30
- 登録日時
- 2015/12/02 00:30
- 更新日時
- 2024/03/30 00:37
- 管理番号
- M15021020470229
- 質問
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岡山の桃に関して江戸時代の記録が残されていないか。
- 回答
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・『江戸時代 人づくり風土記33 岡山』(資料①)には、『備陽国誌』、『東備郡村誌』、『吉備前秘』、『和気絹』を参考に作成された「江戸時代岡山の物産一覧表(地図)」が掲載されている。その中に、上道郡森下村の産物として「桃子」が示されている。
・『吉備群書集成 第1輯 地誌部 上』(資料②)に収められた『和気絹』の上道郡の項には、「御堂屋敷。森下町の東裏に在り。佛住山蓮昌寺中頃此所に在り。其あとなる故今にかく云ふ。又近来家廻りに、多く桃の木を栽て實を賣、味宜し。御堂桃といふて賞翫す」とある。
・『吉備群書集成 第7輯 吉備温故秘録 元之巻(巻1-26)』(資料③)に収録された『吉備温故秘録』には、上道郡「森下」について「桃子名物、御堂桃といふ」と記されている。
・『岡山の古文献』(資料④)では、資料②~③の古文献の成立時期を以下のとおり推定している。
『和気絹』 宝永6年(1709)自序
『吉備温故秘録』 不明。寛政11~享和年中(1799から1803)と推定される。
・『備前国備中国之内領内産物帳』(資料⑤)では、『産物帳』の概要について「江戸中期第八代将軍徳川吉宗の時代に、幕府の威令によって幕府医官で本草学者丹羽正伯(貞機 一六九一 - 一七五六)が中心となって、日本国全域にわたって動植物・鉱物・農作物などの種類や分布状況がくわしく調査されて書上げられた」と説明している。その中の「桃之部」には桃の種類が次のとおり列挙されている。
夏桃
水桃
白桃
南京桃
紫桃
緋桃
源平桃(日月桃)
にか桃
しだり桃
西王母
ほうきもヽ
・『桃の恩人たち』(資料⑥)、『岡山のモモ、日本のモモ』(資料⑦)には、池田光政が家臣に栽培を命じたとされる「池田桃」に関するエピソードが紹介されているが、典拠となる文献の記載なし。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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・梶浦一郎『日本果物史年表』養賢堂 ,2008,310p.
・臼井英治『岡山の作物文化誌』岡山 日本文教出版 ,2006,156p.
・『岡山の果樹園芸史』岡山 岡山県園芸農業協同組合連合会 ,1963,617p.
・『岡山の果樹園芸史 続』岡山 岡山県園芸農業協同組合連合会 ,1975,436p.
- NDC
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- 日本 (291 9版)
- 参考資料
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①『江戸時代 人づくり風土記33 岡山』 農山漁村文化協会,1989,357p. 参照はp.344-350.
②吉備群書集成刊行会『吉備群書集成 第1輯 地誌部 上』岡山 吉備群書集成編纂所 ,1977,604p. 参照はp.50.
③吉備群書集成刊行会『吉備群書集成 第7輯 吉備温故秘録 元之巻(巻1-26)』岡山 吉備群書集成編纂所 ,1977,604p. 参照はp.171.
④中野美智子『岡山の古文献』岡山 日本文教出版,1988,173p. 参照はp.12-13,32-40.
⑤『備前国備中国之内領内産物帳』岡山 岡山県郷土文化財団 ,1988,360p. 参照はp.63-64,324-329.
⑥岡長平『桃の恩人たち』岡山 岡長平,1944,22p.参照はp.2-4.
⑦岡本五郎ほか『岡山のモモ、日本のモモ』岡山 全国農業協同組合連合会岡山県本部 ,2006,212p. 参照はp.4-5.
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①『江戸時代 人づくり風土記33 岡山』 農山漁村文化協会,1989,357p. 参照はp.344-350.
- キーワード
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- 御堂屋敷
- 森下町
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- M2015021020444870229
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 全年齢
- 登録番号
- 1000184839