レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20130827
- 登録日時
- 2014/12/26 10:56
- 更新日時
- 2019/03/03 11:55
- 管理番号
- 鎌中-2014142
- 質問
-
解決
源氏山の、銭洗弁財天を経て源氏山公園へ登って行く道は、相模湾に上陸してくる米軍を防ぐための大砲を山頂に備え付けるための道だったと聞いた。
このことについて書いてある資料はないか。
- 回答
-
戦時中に婦人会の勤労奉仕でつくられた道です。海軍が高射砲の陣地を源氏山につくり、そのために作られた軍用道路だったようです。
以下の資料をご覧ください。
- 回答プロセス
-
①鎌倉と太平洋戦争について書かれた本を見る。
②インターネット検索。「源氏山」×「太平洋戦争」×「鎌倉」
③分類291の本の中で、源氏山周辺を扱っている本を見る。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 日本史 (210 8版)
- 日本 (291 8版)
- 参考資料
-
-
『鎌倉・太平洋戦争の痕跡』 鎌倉市中央図書館近代史資料収集室 CPCの会 2004 【K1 210.75】
P126~127「婦人会の勤労奉仕でできた道路」(写真あり),P63~69 海軍による鎌倉防備計画 -
『回想-戦争と鎌倉人』 戦争体験記出版委員会 1996 【210.75】
P51 鎌倉で陣地を作った話 -
『鎌倉歴史散策』 安田三郎ほか 保育社カラーブックス 1976 【K1 291.37】
P62~63「太平洋戦争中は高射砲陣地で、佐助谷からはいる軍用道路が作られた」 -
『鎌倉 谷戸の記録 下』 鎌倉市中央図書館近代史資料室 CPCの会 2008 【291.3】
P404 「かなり幅員のあるこの坂道は、戦時中源氏山の陣地構築のため勤労奉仕により構築されたものである。」 -
『わたしの鎌倉物語』 リーブ企画 1990 【K1 291.3】
P200「海軍が源氏山に高射砲の陣地を作ってそこへジープを通せるように作った、と私の父が言っておりました」
-
『鎌倉・太平洋戦争の痕跡』 鎌倉市中央図書館近代史資料収集室 CPCの会 2004 【K1 210.75】
- キーワード
-
- 源氏山
- 海軍
- 勤労奉仕
- 軍用道路
- 高射砲陣地
- 佐助谷 さすけがやつ
- 相模湾上陸作戦
- 陣地
- 高射砲
- 太平洋戦争
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000165415