レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019年05月30日
- 登録日時
- 2019/05/30 11:03
- 更新日時
- 2019/06/03 15:43
- 管理番号
- 2019C001
- 質問
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未解決
永青文庫資料の綿考輯録と永源師檀紀年録との関係について教えて欲しい
両者は、年代的に永源師檀紀年録が先に編纂された資料であるが、記述内容に異なる部分がみられる。果たして永源師檀紀年録は綿考輯録に影響を与えているのか(参考にされているのか)?
- 回答
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綿考輯録と永源師檀紀年録はそれぞれ細川家について記録された史料であるが、その年代が異なっている(一部重複あり)。
詳細は以下のとおりである。なお、登場する文献の書誌情報については、文中ではなく括弧書き()による項番をふり、項目毎に末尾でその詳細を記述している。
1)綿考輯録について
肥後藩主時代の細川氏についての家史。細川藤孝・忠興・忠利・光尚の4代について記されている。編者は小野武次郎。天明二(1782)年に完成。綿考輯録以前の細川家に関する記録である平野長看撰「御家譜」を土台として編纂の作業が進められた。(1)(2)(3)
綿考輯録については翻刻資料として『綿考輯録(出水叢書)』(4)が刊行されている。なお、各巻末には土田将雄氏による解説が掲載されているが、同氏が他媒体で発表した各文献とまとめて、『続細川幽斎の研究』(3)として刊行されている。
(参考)
(1)松本寿三郎.“細川家譜”.日本史大事典.第6巻.平凡社.1994.p.166.
(2)加藤秀幸.“細川家記”.国史大辞典.第12巻.吉川弘文館.1991.p.732.
(3)土田将雄著.続細川幽斎の研究.笠間書院.1994
(4)石田春男 [ほか] 編.綿考輯録.全7巻.(出水叢書).出水神社.1988-1991.
2)永源師檀紀年録について
和泉上守護細川家とその菩提寺である建仁寺塔頭・永源庵との関わりを編年体で記したもの。貞和元(1345)年から元和元(1615)年までの出来事が記されている。「永源記」の一つである。「永源記」には、建仁寺塔頭永源庵の由来などをまとめた「永源庵由来略記写」や、その他に「賛辞」「細川家記録」「御寄付状写」「御代々御碑名」などがある。(5)(6)(7)(8)翻刻資料として『正伝永源院蔵本永源師檀紀年録並付録』(9)が刊行されている。
(参考)
(5)富坂賢.“2 永源記”「細川家の至宝 : 珠玉の永青文庫コレクション」作品解説より.細川家の至宝 : 珠玉の永青文庫コレクション.東京国立博物館 [ほか] 編.NHK.2010.
(6)羽田聡.“3 永源師檀紀年録”「細川家の至宝 : 珠玉の永青文庫コレクション」作品解説より.細川家の至宝 : 珠玉の永青文庫コレクション.東京国立博物館 [ほか] 編.NHK.2010.
(7)山田貴司.“和泉上守護細川家ゆかりの文化財と肥後細川家の系譜認識”.細川家の歴史資料と書籍 : 永青文庫資料論.森正人,稲葉継陽編.吉川弘文館.2013.3.p.17-47.
(8)山田貴司.“永青文庫所蔵の「中世文書」”.細川家文書 中世編.(永青文庫叢書).熊本大学文学部附属永青文庫研究センター編.吉川弘文館.2010.5.p.313-332.
(9)今谷明監修,阿波郷土会編集.正伝永源院蔵本永源師檀紀年録並付録.阿波郷土会.2001.11.242p, 図版[4]枚.
3)永源師檀紀年録と綿考輯録の関係について
前掲した文献の(3)より、参考になる記述をいくつか確認できたため以下のとおり紹介する。
綿考輯録と永源師檀紀年録との関係について言及した内容として以下の記述が確認できた。
「(前略)右の引用文中「一書に」とあるのは『永源師檀紀年録』と考えられる。永青文庫蔵本からその前後も合わせて引用しておく。(中略)右の二つの引用を比較すれば『綿考輯録』が『永源師檀紀年録』を用いていることは明らかである。(中略)光秀が詩を賦し、藤孝が「みつしほの越えてや洗ふ・・・」の歌をよんだということについて『綿考輯録』は『明智軍記』によって光秀の作かも知れぬと述べている。『綿考輯録』の筆者は『永源記』と『明智軍記』の両者を参照し、本文として前者をとり、後者を参考とした。」(10)
また、綿考輯録の一部に関する引用書として「永源庵記録」という資料を確認したことが記述されている。(11)
その他、綿考輯録の土台となった平野長看撰「御家譜」が永源師檀紀年録および永源記を参照していることについて記述した箇所がある。
「(前略)ここで「或記ニ九郎藤孝と有之」としているが、管見したところでは永青文庫所伝の『永源師檀紀年録』《四・六・七八》にその旨の記載があった。小野武次郎の『覚』に記すところを考えて、平野長看も『永源記』の所在を知り、これを用いたのではないかと推察されるのである。」(12)
「最後の藤孝出生の年月日について一言しておこう。(中略)ところが平野長看撰の『御家譜』には「天文四年乙未四月廿二日の巳ノ下刻御誕生也」とあり、一説がたてられた。『綿考輯録』の記すとことによると、三説あるという。(中略)長看説は『永源記』の所載と一致し、拠るところは『永源記』と考えられる。しかしこの説をとるものは殆どなく、天文三年出生としている。」(13)
(参考)
(10)前掲(3)中“細川藤孝と明智光秀:『明智軍記』考”.p.255-256より抜粋
(11)前掲(3)中“付『綿考輯録』引用書”.p.200
(12)前掲(3)中“細川幽斎の出自について”.p.238-239より抜粋
(13)前掲(3)中“細川幽斎の出自について”.p.241-242より抜粋
- 回答プロセス
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細川家史および細川幽斎について記述された資料を中心に調査を行い、有力なものをまとめて回答とした。綿考輯録と永源師檀紀年録とは幽斎関係の記述で年代の重複があるため(一部忠興も同様)である。なお、永源師檀紀年録の翻刻本(前掲(9))は弊館未所蔵のためその内容について未調査である。
他、以下の文献について細川家史および幽斎関係の記述箇所を参照した。
(図書)
(14)春名徹著.細川三代 : 幽斎・三斎・忠利.藤原書店.2010.10.534p.
(15)熊本大学文学部附属永青文庫研究センター監修.武将幽斎と信長 : 細川家古文書から.熊本日日新聞社.2011.6.110p.
(16)米原正義編.細川幽斎・忠興のすべて.新人物往来社.2000.282p.
(17)平湯晃著.細川幽斎伝.河出書房新社.1999.10.315p.
(18)渡辺誠著.あなたの知らない「細川家」の歴史.歴史新書.洋泉社.2014.6.207p.
(19)大島明秀著.細川侯五代逸話集 : 幽斎・忠興・忠利・光尚・綱利.熊日新書.熊本日日新聞社.2018.1.230p.
(20)森正人, 鈴木元編集.細川幽斎 : 戦塵の中の学芸.笠間書院.2010.10.401, 15p.
(論文)
(21)山田貴司.細川家伝来文書にみる信長文書論の現在地.文化科学研究.中京大学文化科学研究所.2016.3.27(1).p.98-118
(22)土田将雄.細川幽斎家集の研究 その一:伝本解説.上智大学国文学論集.上智大学.1968.3.(1).p.61-106.
(23)林達也.細川幽斎年譜稿(一).青山學院女子短期大學紀要.青山学院女子短期大学.1974.11.(28).p.31-82.
(24)松園潤一朗.室町幕府安堵の様式変化について.人文.学習院大学.2009.(8).p.248-268
- 事前調査事項
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両者の翻刻本(前掲(4)および(9))はすでに内容を確認済みである。
- NDC
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- 九州地方 (219 9版)
- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 細川家
- 細川氏
- 綿考輯録
- 永源師檀紀年録
- 永源記
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000256521