レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2009年12月28日
- 登録日時
- 2010/01/27 14:52
- 更新日時
- 2014/02/24 14:49
- 管理番号
- さいたま-岩-20100003
- 質問
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解決
岩槻八景では、この詩(利用者の手持ち資料「岩槻八景 武田静山?)はどこの場所を表しているか
- 回答
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「岩槻八景」は、岩槻城の様子をうかがい知る資料の一つである。
この岩槻八景は、18年(1885)頃、児玉本也・平野糸丸(ともに号、実名未詳)らの旧岩槻藩士たちによって作られた。
正式には「岩槻古城八景」と名づけられ、九景の歌題を詠んだ和歌と、駑楽(号、姓名未詳)の描いた絵があった。
この八景は琵琶湖周辺の景勝の地を中国の瀟湘八景にならって選んだ近江八景がもとになり、近世には日本各地に広がり各人の好みで八景を選んでいる。
岩槻八景は城口晩鐘、樹木曲輪夜雨、鵜首夕照、高台秋月、米蔵落雁、車橋晴嵐、船入口帰帆、茶屋台暮雪の八景である。
・城口晩鐘は、中ほどに渋江口木戸と番所が描かれ、その上方に鐘楼(時の鐘)、右の上に三の丸追手門、西櫓、その下に三の丸の冠木門が描かれている。
・樹木曲輪夜雨は、樹木曲輪の入口が大きく描かれ、右上に本丸二重櫓も描かれている。
・鵜首夕照は、岩槻城の三の丸大手口が描かれている。左隅に岩槻会所、中ほどに三日月堀その右上に冠木門、登城する侍、大手門、左上に三の丸西櫓、右下に三の丸左櫓が描かれている。
・高台秋月は、左半分に三の丸(城主居宅)、右側に新曲林(岩槻公園)と諏訪神社が描かれている。
・米蔵落雁は、三の丸北西に続く米蔵の門と番所が中央に、左上に浄安寺、その右手に落雁、さらに右手に久伊豆神社が描かれている。
・車橋晴嵐は、樹木曲輪から二の丸、三の丸に至る道筋に架かる太鼓橋になっている車橋を中心に、右側に車橋門、武具蔵、左側に本丸表門、二重櫓隅橋などが描かれている。
・船入口帰帆は、中央左に本丸の北側に位置する舟入口門、その上に本丸裏門、極楽橋、中央上部に二本杉、その右下に本丸二重櫓が描かれている。
・茶屋台暮雪は、茶屋曲輪の一角にある茶屋台を中心に描かれている。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 関東地方 (213 9版)
- 参考資料
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- 『岩槻大百科』 岩槻地方史研究会 1994 (p40)
- 『岩槻城と城下町』(いわつき郷土文庫 第三集) 岩槻市教育委員会 2005 (岩槻八景 p104 絵 p40、p92)
- 『岩槻市史 通史編』 岩槻市役所 1985 (絵8枚あり p510 (この絵8枚は、岩槻郷土資料館所蔵だが、閲覧不可とのこと。)記述なし)
- 埼玉新聞1989年(平成元年)4月29日(土)11面【地域】
- (2014年2月24日追記)『新編埼玉県史 通史編3 近世』埼玉県/編集 埼玉県 1988 (口絵11 岩槻八景の絵のうち「鴉首夕照」「舟入口帰帆」「米庫の落雁」の3枚がカラーで掲載されている。)
- キーワード
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- さいたま市岩槻区
- 岩槻八景
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 2014年2月24日追記
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000062453