レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010年8月31日
- 登録日時
- 2010/09/15 02:00
- 更新日時
- 2010/10/27 15:14
- 管理番号
- 精華2010-002
- 質問
-
解決
精華町内にお千代と半兵衛のお墓があるらしいのですが。
- 回答
-
お千代と半兵衛が誰なのかを聞くと、近松門左衛門の浄瑠璃の登場人物とのこと。
精華町内にその史跡があるなら町内のガイドブックに載っているかと思い、郷土資料コーナーをブラウジング。
近松門左衛門の本も確認。
①~⑧該当資料あり。
お千代と半兵衛は、近松門左衛門の浄瑠璃「心中宵庚申(しんじゅうよいこうしん)」の主人公で、お千代の実家(嶋田家)が植田村にあり、墓は精華町内の来迎寺(らいごうじ)にあると判明。(嶋田家は同寺の檀家)
ちなみに、「心中宵庚申」は、享保6(1721)年、庚申の日に生玉(いくたま)社で心中した夫婦を題材に作られた近松の世話物浄瑠璃。
②⑥には墓の写真が載っている。
④は「心中宵庚申」のあらすじもある。
⑤はカラー写真つき、精華町内の観光地図(来迎寺も記載)あり。
⑦は精華町に伝わる心中のいきさつについて。
⑧は来迎寺の住所(大字植田小字南六ノ坪59)記載あり。
「心中宵庚申」の本文は⑨⑩で確認できる。本文他、簡単な作品解説もある。
⑨⑩より夫婦の墓は来迎寺のほか、現大阪市天王寺区生玉寺町銀山寺にもあることが判明。
川崎家(半兵衛)が同寺の檀家である。同寺の墓石には⑩P662より「墓石には、正面に「一連通月融心心士」、その右左に「声応貞現信女、離身童子」、右側面に「享保七寅年四月六日」とあり、同寺の過去帳には、享保七年四月六日に「声応貞現女廿四/離身童子/川崎や源平へ養子娘/油掛町八百ヤ半兵ヘ妻/山城上田村兵右衛門妹也」とある」
なお、同じ事件を扱った浄瑠璃、紀海音作「心中二つ腹帯(はらおび)」があるとのこと。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 日本文学 (910 9版)
- 近畿地方 (216 9版)
- 日本 (291 9版)
- 参考資料
-
- ①竹村俊則『新撰京都名所図会 巻6』(1987、白川書院新社) P195~196 (K291.6)
- ②斎藤幸雄『やましろ歴史探訪』(1998、かもがわ出版) p46 (K291.6)
- ③竹村俊則『昭和京都名所圖會 7南山城』(1989、駸々堂出版) P332 (K291.6)
- ④相楽郡連合校長会編『私たちの相楽郡』(1959、相楽郡誌刊行会) P86~87 (K216 )
- ⑤精華町役場総務部企画調整課編『創精記’95』(精華町役場総務部企画調整課、1995)P38、47
- ⑥精華町史編纂委員会『精華町史 本文編』(精華町、1996) P598~599 (K216)
- ⑦精華町の自然と歴史を学ぶ会『精華町の郷土誌 その1』「お千代、半兵衛の碑」(精華町の自然と歴史を学ぶ会、1994) P96~97 (K216)
- ⑧精華町史編さん委員会編『精華町の寺社と美術』(精華町史編さん委員会、1986年) P35
- ⑨『近松浄瑠璃集 下』新日本古典文学体系92(岩波書店、1995) P305~353 (918)
- ⑩『近松門左衛門集2』日本古典文学全集75(小学館、2000) P433~484、662~623 (918)
- キーワード
-
- 近松門左衛門
- 心中宵庚申
- しんじゅうよいこうしん
- 来迎寺
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000071247