レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013年1月9日
- 登録日時
- 2013/03/13 13:45
- 更新日時
- 2013/05/31 11:08
- 管理番号
- 埼熊-2012-246
- 質問
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未解決
1 深谷市の楡山神社に、なぜ海の神である御穂須々美命(ミホススミノミコト)が祀られているのか知りたい。
2 なぜ山の神(楡山神社自体が山の神)とセットになって祀られているのか理由を知りたい。
- 回答
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1 『大里郡神社誌』等により、大正元年に楡山神社境内に御穂須々美命を祀る荒神社が合祀されたことが判明したが、御穂須々美命が埼玉県の神社に祀られている経緯等については、わからなかった。
2 御穂須々美命が海とゆかりの深い神であること、楡山神社の祭神とされる伊邪那美命(イザナミノミコト)や猿田彦命(サルタヒコノミコト)も海人の信仰を集めていること、また、かつて楡山神社に山の神である熊野三社大権現を勧請したことは判明したが、楡山神社の境内に御穂須々美命を祀る荒神社の末社がある理由は、わからなかった。
関連する記述のあった資料を紹介した。ミホススミノミコトの漢字表記は、典拠資料の表記に従っている。詳細は回答プロセスに記載した。
- 回答プロセス
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楡山神社について
祭神を猿田彦命、伊邪那美命とする記述が見られた。また、かつて山の神である熊野三社大権現を勧請したことがわかった。
『大里郡神社誌』(埼玉県神職会大里郡支会編 国書刊行会 1984)
p167-175「県社 楡山神社」の項あり。
p168「祭神 伊邪奈美命 御一座。熊野の俗称ありし頃は三座祀れりとも云傳ふ」とあり。
p172 楡山神社の境内神社である「荒神社」の項に、「主神久産霊神奥津比古神奥津比賣神、配祀御穂須々美命天津兒屋命齋主命武甕槌命比賣神、大正元年八月三十一日當所字根岸より其末社諏訪神社及春日神社を合祀の上移轉す。」とあり。
『埼玉の神社 大里 北葛飾 比企』(埼玉県神社庁神社調査団 埼玉県神社庁 1992)
p190-193「33 楡山神社」の項あり。
「祭神は、古くは猿田彦命(さるたひこ)であるが、現在は伊邪那美命(いざなみ)としている。」とあり、「御穂須々美命」の記述は見当たらない。境内の地図に「荒神」あり。
『神道大系 古典註釋編7 延喜式神名帳註釋』(神道大系編纂会 神道大系編纂会 1986)
p286「楡山神社」の項 「字鏡、楡、爾禮、女沼村聖天宮、サルタヒコ、御朱印五十石、或云、幡羅村」の記載あり。
『新編武蔵風土記稿 8』(林述斎編 歴史図書社 1969)
p28「熊野社 この社を土人楡山神社と唱へ、郡の惣鎮守なり、社地は松杉繁茂せる内に、楡の古木あり(中略)【延喜式】神名帳に載る所の楡山神社なりや、外に據はなし」との記述あり。熊野社であったことがわかる。
「末社 稲荷社 天神 鐘楼 社守庵 別当正徳院 愛宕社 観音堂」とあるが、現在、楡山神社に御穂須須美命が祀られている荒神社は見あたらない。
『武蔵国郡村誌 10』(埼玉県編 埼玉県立図書館 1954)
p191に「楡山社」の項あり。「延喜式内所載郷社々地東西壱町五間南北三拾八間四尺面積弐千五百拾五坪村の北方にあり伊邪那岐伊邪那美尊を祭る(中略)荒神社 東西拾六間五尺南北六間面積百一坪村の南方にあり火産霊命興津比古興津比売命を祭る祭日十一月七日」とあり、御穂須々美命の名は見えない。
『深谷市史 全』(深谷市史編纂会編 深谷市 1969)
p176-179「第11章 神社 第1節 『延喜式神名帳』と楡山神社」 『延喜式神名帳』、『大里郡神社誌』を引用した内容で摂社・末社についての記述なし。
インターネット情報《楡山神社》の由緒に、大正元年8月に合祀された末社の荒神社に、御穂須々美命が祀られていることが確認できる(旧神社は「諏訪神社」とあり)。(http://homepage3.nifty.com/nireyamajinja/nire/index.htm 楡山神社 2012/12/18最終確認)
また、同ウェブサイトの郷土資料室のページには「幡羅郡原ノ郷村 神社明細帳写 明治末年」の写真画像が掲載されており、「荒神社」の境内神社の中に「諏訪神社」あり。「御穂須々美命」が祭神であることが書かれているが、由緒は「不詳」と書かれている。(http://homepage3.nifty.com/nireyamajinja/kyodo/meisai/meisaicho.htm 楡山神社 2012/12/18最終確認)
御穂須々美命・猿田彦命・伊邪那美命について
猿田彦命・伊邪那美命が海人族の奉祀する神であることがわかった。一部の資料に「山の神」であるという記述も見られた。
『日本神名辞典 増補改訂』(神社新報社 2001)
p61「伊邪那美命」の項に、「伊邪那岐神と同様、本来は淡路周辺の海人族の奉祀する神であった」とあり。
p225「[サル]田毘古神(さるたびこのかみ)=猿田彦命」の項
に、「[サル]田毘古神が伊勢の狭長田の五十鈴の川上に到るといふ記事があり、記では、阿耶訶(伊勢国壱志郡、現在の松阪市大阿坂・小阿坂)に鎮座したとし、伝を異にするが伊勢との関はりを強く感じさせる。(中略) 海人族に信仰基盤を持ってゐた神であることが伺へる」とあり。
p360「毘穂須々美命(ひほすすみのみこと)」の項に、「美穂須々美命のこと。大国主命の子、母は意支郡久辰為命の子奴奈宣波比売名。三崎明神とも称し、珠州獄の頂上にある山の神(鈴奥大明神)ともいわれている」とあり。
p406「御穂須々美命(みほすすみのみこと)」の項に、「所造天下大神命(あめのしたつくらしし=大国主神)の子。母は、奴奈宣波比売名。事蹟不詳。この神が座したことにより嶋根郡美保郷の名がついたといふ(出雲国風土記)」とあり。
『神名の語源辞典』(志賀剛著 思文閣出版 1989)
p203「美保神社」(出雲・島根)の項に、「半島の先端を穂といったから美保は御穂である。それは稲の穂と同じように考え、海の幸を祈る意味もあったのであろう」との記述あり。御穂須々美命について「地主神」との記述あり。
合祀について
縁故の深い神を祀った小社を摂社、それ以外の小社を末社ということがわかった。楡山神社で御穂須々美命を祀っている荒神社は末社である。また、明治39年には、政府の奨励により奉祀維持困難の神社を合併している。
『日本大百科全書 12』(小学館 1986)
p553「神社」の項 「神社に本社に関係ある神、またその支配を受ける小社を祀っている場合が多いが、明治の制の官国幣社では本社に縁故の深い神を祀った小社を摂社、それ以外の小社を末社といい、官国幣社以外ではその鎮座地により境内社または境外社と称してきたが、これが現在も踏襲されている。
『神道史大辞典』(薗田稔編 橋本政宣編 吉川弘文館 2004)
p345-346「合祀」の項に、「合祀は明治以降昭和二十年(1945)までの神社行政の中では、当該神社が由緒不明もしくは維持困難にして社殿頽廃し独立困難などの場合に許可された。こうした戦前の合祀などについての規定は、明治41年(1908)2月社甲第1号「神社合併取扱方ノ件」の通牒に拠っていた。これらは神社整備の一環であり、近世にも水戸藩・岡山藩などで小祠淫祀などを一所に集めて寄宮(よせみや)と称する整理が実施された。」とあり。
『埼玉県神社庁三十年誌』(埼玉県神社庁編 埼玉県神社庁 1979)
p1「明治39年政府が神社制度の改善を計らんがため、神社の整理を断行し、奉祀維持困難の神社を、適当に合併するよう奨励した。合併神社の跡地は、合併先の神社に基本財産として譲与され、境内の設備や維持方法を確立せしめた。当時神社合併が全国的に行われた中に、徹底的に大整理が行われたのは、三重、和歌山、本県の三県であるといわれている。
- 事前調査事項
- NDC
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- 神社.神職 (175 9版)
- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- ミホススミノミコト
- 楡山神社(埼玉県深谷市)
- 神社-埼玉県-深谷市
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土 地名
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000128815