レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013年10月16日
- 登録日時
- 2013/10/16 21:28
- 更新日時
- 2013/10/17 12:12
- 管理番号
- 20131016-8
- 質問
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解決
譚嗣同について知りたい。
- 回答
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譚嗣同(たんしどう) Yahoo!百科事典[日本大百科全書(小学館)]
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E8%AD%9A%E5%97%A3%E5%90%8C/ (2013/10/16確認)
(1865―1898)
中国、清(しん)末の思想家。字(あざな)は復生、号は壮飛。湖南省瀏陽(りゅうよう)の高級官僚の家に生まれ、若くして秘密結社大刀会と接触し、任侠(にんきょう)王正誼(せいぎ)に武術を習った。思想的には『墨子(ぼくし)』に傾倒し、明(みん)末清初の黄宗羲(こうそうぎ)、王夫之(おうふうし)の著作からも強い影響を受けた。変法運動に際しては、湖南省における運動の中心人物として精力的に活動する一方、康有為(こうゆうい)よりいっそう急進的な変法論を展開し、ある意味では革命主義に著しく接近している。・・・
参考文献
高田淳著『中国の近代と儒教』(1970・紀伊國屋書店)
近藤邦康著『中国近代思想史研究』(1982・勁草書房)
西順蔵編『原典中国近代思想史2』(1977・岩波書店)
譚嗣同 【たんしどう】 コトバンク
http://kotobank.jp/word/%E8%AD%9A%E5%97%A3%E5%90%8C (2013/10/16確認)
世界大百科事典 第2版
たんしどう【譚嗣同 Tán Sì tóng】 1865‐98
中国,清末の変法思想家。字は復生,号は壮飛。湖南省瀏陽県の人。少年のころから豪放な性格で俠気と武術を好んだ。いっぽう広く読書して学問に励んだ。とくに同郷の王夫之(船山)を慕った。さらに当時翻訳されていた外国書をも読んで外国事情にも通じていた。30歳の1894年(光緒20),日清戦争の敗北に感憤し,範を西洋に求めて変法を行う以外に中国回生の道はないと自覚した。そこで翌年夏,康有為らが強学会を創設したと聞き,北京に出て彼らの変法運動に参加した。
デジタル大辞泉
たん‐しどう 【譚嗣同】
[1865~1898]中国、清末の思想家。瀏陽(りゅうよう)(湖南省)の人。字(あざな)は復生。康有為の変法論に共鳴して政治改革を主張。戊戌(ぼじゅつ)の政変に参加したが、保守派のクーデターで捕らえられて刑死。
大辞林 第三版
たんしどう【譚嗣同】
(1865~1898) 中国,清末の思想家・政治家。康有為の変法自強運動に共鳴,戊戌(ぼじゆつ)の政変に参加したが,捕らえられて処刑された。著「仁学」
譚嗣同 【たん・しどう/タン・スートン】 世界文学大事典
Tan Si tong
中国 1865(同治4)-1898(光緒24)
中国,戊戌(ぼじゆつ)変法の活動家,思想家。字(あざな)は復生。湖南省瀏陽(りようよう)の人。湖北巡撫譚継洵(じゆんぶたんけいじゆん)の子。・・・
中国文化史大事典 / 尾崎雄二郎, 竺沙雅章, 戸川芳郎編集代表 東京 : 大修館書店 , 2013 ISBN:97844690128
p.821 たんしどう 【譚嗣同】
中国学芸大事典 近藤春雄著 大修館書店 1978 ISBN:4469032018
p.505 たんしどう 【譚嗣同】
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 中世思想.近代思想 (125 9版)
- 中国 (222 9版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000138809