レファレンス事例詳細(Detail of reference example)
提供館 (Library) | 名古屋市鶴舞中央図書館 (2210001) | 管理番号 (Control number) | 名古屋市東-2017-002 | |||||||||
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事例作成日 (Creation date) | 2017年07月09日 | 登録日時 (Registration date) | 2017年07月09日 13時52分 | 更新日時 (Last update) | 2018年01月18日 10時13分 | |||||||
質問 (Question) | 江戸時代、星崎の塩田から塩を運んだ塩付街道は、星崎から北上し、現在の名古屋市東区古出来町交差点付近で終わる。その地が終点となった理由とされる小沢屋という味噌・醤油醸造業者について知りたい。小沢屋のあった場所は、現在のどこか。 | |||||||||||
回答 (Answer) | 小沢屋のあった場所は現在の千種区松軒あたりのようですが、特定できる資料を見つけられませんでした。以下の資料に小沢屋についての記述があります。 【資料1】『名古屋いまむかし』(舟橋武志/編 改装版 ブックショップ「マイタウン」1998)p.176-177 「塩付街道が千種区・古出来町で終わっているのも小沢屋伝右衛門と名乗るみそ、しょう油の製造業者が、たえず大量の塩を必要としていたからだ。しかし繁栄したのも安永(1780年ごろ)までで、その後廃業同然となっている。この時期、星崎の塩田地帯も、塩から米の生産へ変わってきている。」 【資料2】『南区の歴史ロマンをたずねて』(加納誠/企画・編集 2005)p.36-41 「松軒二丁目に小沢文左衛門の塩問屋があった。文左衛門は、寛文年間(1661~73)に塩の荷が多く通るのを見て、味噌、溜の製造を始めた。その後、塩の荷も少なくなり店をたたんだという。塩問屋の跡は分からない。」 【資料3】『瑞穂区の歴史』(山田寂雀/著 愛知県郷土資料刊行会 1985)p.55-59 「松軒町あたりにあった小沢屋文左衛門という岡売塩問屋へ街道はつづく。一名、門立屋といった小沢屋は味噌たまりの販売をしていたという。そこより、塩荷は下街道へ、一部は山口街道をとおって信州へ運ばれた。」 【資料4】『東区探訪 続々』(名古屋市立あずま中学校3年生/[編] 1989)p.13 出来町の味噌屋小沢屋と塩付街道というレポートがあります。 塩付街道について、ほかにも以下のような資料があります。 【資料5】『名古屋の史跡と文化財 新訂版 第3版』(名古屋市教育委員会/編 名古屋市教育委員会 1998)p.290 【資料6】『忘れられた街道 上』(中根洋治/著 風媒社 2006)p.37-47 【資料7】『なごやの古道・街道を歩く』(池田誠一/著 風媒社 2007)p.76-82 | |||||||||||
回答プロセス (Answering process) | ||||||||||||
事前調査事項 (Preliminary research) | ||||||||||||
NDC |
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参考資料 (Reference materials) |
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キーワード (Keywords) |
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照会先 (Institution or person inquired for advice) | ||||||||||||
寄与者 (Contributor) | ||||||||||||
備考 (Notes) | ||||||||||||
調査種別 (Type of search) | 文献紹介 | 内容種別 (Type of subject) | 郷土 | 質問者区分 (Category of questioner) | 社会人 | |||||||
登録番号 (Registration number) | 1000218530 | 解決/未解決 (Resolved / Unresolved) | 解決 |