レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2009年04月01日
- 登録日時
- 2009/05/05 13:14
- 更新日時
- 2009/05/05 13:14
- 管理番号
- 福若-2009-0331
- 質問
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解決
小浜市西津地区にある寺院「円通寺」について、かつて存在していた場所を知りたい。
- 回答
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『遠敷郡寺院明細帳』等により、西津の下竹原地区から北塩屋地区へ移転したことがわかる。その移転時期は、『小浜市史』絵図地図編 所収の絵図より、寛政年間~文政7年頃と推測され、また移転前の場所の記載が確認できる。
- 回答プロセス
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① 該当地域の寺院誌を調べる資料として、以下のものがあり、「円通寺」についてそれぞれ記載がある。
・『若狭遠敷郡誌』復刻版 遠敷郡教育会編 臨川書店1985 (H273/ワ) p156
:原本は1922刊。「同村(西津村)字河原」と記載されている。
・『福井県の地名』(日本歴史地名大系) 平凡社 1981 (H290/フ) p622~623
:下述の『若州管内社寺由緒記』『寺院明細帳』『寺院台帳』の内容含む。
・『若州管内社寺由緒記』若狭地方文化財保護委員会 1958 (H165/トウタ) p30~31
:江戸時代延宝年間成立の史料の活字版。「西津下竹原」所在と記載されている。
・『遠敷郡寺院明細帳』1/2 福井県立図書館・製作 2004 (H180/コクリ) p46~47
:住所は「西津村北塩屋」、由緒に「元在下竹原村」と記載されている。
・『遠敷郡寺院台帳』福井県立図書館・製作 2004 (H180/ケンリ) p37
:住所は「小浜町北塩屋」、由緒に「元ト小浜町下竹原ニ在リ」と記載されている。
*『寺院明細帳』『寺院台帳』の原本は、明治後半~昭和戦前期頃に使用された行政資料(差替式)。「西津村」は明治22年~昭和10年、
「小浜町」が西津地区を含むのは昭和10~26年の時期。(『若狭路ことばはじめ』若狭図書学習センター 2005 (H260/フクイ)の
「嶺南地域の市町村名」に変遷図あり)
② ①の各資料より「下竹原」(西津地区の海側)から「北塩屋」」(西津地区の山側)へ移転したことが分かる(『遠敷郡誌』の「字河原」は不詳)。
質問者の話では、江戸時代頃かもしれない、とのことなので、江戸期の西津地区を含む絵図をあたる。
・『小浜市史』絵図地図編 1993 (H275/オ/7) 第29図・30図 およびその解説
:第29図「寛政・文政頃西津村図」には、「下竹原」の北部分に記載されている。第30図「明治初年西津村図」には、現在地(北塩屋)の付近
に記載されている。
*第29図の解説によれば、同図の作成は寛政年間~文政7年頃とされている。また、同図と別に文政7年(1824)の絵図があり、それには
円通寺が「山手に描かれている」との記述がある(この絵図は未所収)。円通寺の移転時期は、寛政年間~文政7年頃と推測される。
- 事前調査事項
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現在は西津の北塩屋地区に所在。「以前は現在と違う場所にあった」と、人から聞いた。
- NDC
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- 寺院.僧職 (185 8版)
- 北陸地方 (214 8版)
- 参考資料
- キーワード
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- 円通寺
- 寺院誌
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000054482