レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017年1月17日
- 登録日時
- 2017/01/24 20:08
- 更新日時
- 2017/07/13 14:21
- 管理番号
- 中央-1-001074
- 質問
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解決
明治時代の「浦和病院」がどこにあったのか、地図で知りたい。
- 回答
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浦和病院は1898(明治31)年に移転しており、
移転前の位置は
・『東京近傍図(北部)川口・蕨・浦和・与野 北部』人文社 1991年
移転後の位置は
・『浦和市史 通史編Ⅲ』浦和市総務部市史編さん室 編 1990年
付録 大正3年「浦和町明細全図」
で確認できる。
- 回答プロセス
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●浦和病院がどこにあったのか調べる。
・『埼玉県行政史 第1巻』埼玉県 編集 埼玉県 1989年
p444 県内の私立病院
「…また、別に明治二十三年に県立病院が廃院となったが、その関係者によって同病院の跡地に、私立の浦和病院が設立された。(略)私立浦和病院は、その後、明治三十一年七月に移転したが…」
との記述あり。
p441 「同月(明治十二年八月)二十三日、県立医学校を廃止するとともに、同校跡に県立病院を(略)設置した。」
との記述あり。
・朝日新聞記事検索データベース 聞蔵Ⅱで検索→
1898年(明治31年)6月26日に浦和病院移転の広告があり、埼玉県北足立郡浦和町二百十六番地が移転後の住所となっている。
●ここまでをまとめると、
県立医学校→ 1879年(明治12年)県立病院に→ 1890年(明治23年)浦和病院に⇒ 1898年(明治31年)に移転 となる。
●医学校がどこにあったかを調べる。
・『浦和市史 通史編3』浦和市総務部市史編さん室 編 浦和市 1990年
p330 「明治九年十月十三日、医学校は、現在の岸町五丁目、コミュニティセンターの地に新校舎を建設し…」
との記述あり。
●当時のコミュニティセンターの地図を見てみる。
・『ゼンリンの住宅地図 浦和市〈西部版〉 与野市 '91』ゼンリン 1990年
96 岸町5丁目1番地にコミュニティセンターあり。
●明治時代の地図を見てみる。
・『東京近傍図(北部)川口・蕨・浦和・与野 北部』人文社 1991年
前述の91年の住宅地図のコミュニティセンターの位置と同じような位置に「病院」の文字あり。
この地図は明治13年測量、明治19年製版の複製なので県立病院時代の地図だが、移転前の浦和病院の場所はここだと考えられる。
●移転後の浦和病院
・『浦和市史 通史編Ⅲ』浦和市総務部市史編さん室 編 1990年
付録 大正3年「浦和町明細全図」に掲載あり。
- 事前調査事項
- NDC
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- 関東地方 (213 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- さいたま市浦和区
- 浦和病院
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000207254