レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2006年02月04日
- 登録日時
- 2006/03/10 16:27
- 更新日時
- 2010/04/07 10:05
- 管理番号
- 福若-2006-0204
- 質問
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解決
童謡「毬と殿様」の歌詞に紀州が出てくるが、紀州手まりと関係があるのかを知りたい。
- 回答
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紀州(紀伊)手まりと関係があるといった資料は見つからなかった。
1.『童謡の秘密』p177に、この童謡のエピソードとして「雑誌社から正月号にふさわしい子供の謡を、と頼んで来たので、子供の頃の正月の遊びを謡にしようと考えた。女の子は毬つきや羽子つきをして遊ぶ。(中略)毬つきや羽子つきのご褒美もみかんだ。みかんは丸くて毬のようで紀州が本場だ。そうした連想からこの童謡を書いた」(音楽評論家森一也氏の著書より)とある。
2.『西條八十100選』p229脚注には、「紀州・和歌山の名産はみかんである。正月といえばみかんで、みかんといえば紀州だ。八十はそんな連想からこの童謡の着想を得たのだ、という。」とある。
3.asahi.comマイタウン和歌山の記事(引用)
「西条は生前、「まりと殿様」の誕生にまつわるエピソードを和歌山の地元紙に手記の形で寄せている。「若い日、日うららかに柑橘が実るこの豊かな国を旅した時の感慨を、無心の幼児の手まりの動きに託した」とし、「ぼくの創作の童謡中、『かなりや』に次いで深い愛着を持った」。(http://mytown.asahi.com/wakayama/news.php?k_id=31000148888880591より)
4.紀州手まりについては、『和歌山県の歴史』(山川出版社,2004)ブックジャケットに「その起こりは明らかではないが、和歌山城内の御殿で、女中が幼い姫君の遊具につくったという。童謡「まりと殿さま」の歌とともに全国的に知られるようになった。」との説明あり。
5.『紀伊てまり』(久山雪雄、滝本宏子著,マコー社,1993)を他図書館から借受。p46の内容をまとめると、「紀州手まりには一般なもののほかに田辺地方独特のてまりがある。著者が調べたところによれば、家康が徳川御三家の一つに紀伊を選定し子の頼宣を藩主にした際、側近安藤帯刀を随行させた。安藤が田辺藩主になり、御殿まりも文化の一部として普及し、田辺人のフロンティア精神と凝り性が加わって独特のてまりを伝承したと想起している」とのこと。
- 回答プロセス
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1.童謡に関する資料(NDC:767.7)を調べる。『童謡の秘密』は『日本童謡事典』p374に参考文献としてあげられていた。
2.手まり遊びの観点から『童遊文化史』を調べる。第4巻「まりつき」(p309~)をみると、手まりはもともと遊具であったが手工芸品の性格が強くなり、ゴム毬が普及したのは明治後期頃とある。この童謡が作られた昭和4年には普及していたことになり、伝統工芸品である紀州手まりと関係があるとは考えにくい。
3.福井県立所蔵の和歌山の郷土玩具、民俗、歴史などを調べたが該当するものはなかった。
- 事前調査事項
- NDC
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- 声楽 (767 8版)
- 参考資料
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- 1.日本童謡事典 上笙一郎/編 東京堂出版 2005 767.7/ニホン
- 2.西條八十100選 上田信道/編著 春陽堂 2005 911.5/サイシ
- 3.童謡の秘密 合田道人/著 祥伝社 2003 767.7/コウタ
- 4.童遊文化史 第4巻 半沢敏郎/著 東京書籍 1980 384.5/ハ
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5.和歌山県の歴史 山川出版社 2004 216.6/ワカヤ
(ブックジャケットに手まりの絵あり。
折り返し部分に説明あり。) - 6.紀伊てまり 久山雪雄/著 マコー社 1993 (内容の大部分は作り方)
- キーワード
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- てまり
- 童謡
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000027698