レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2004年03月01日
- 登録日時
- 2006/04/10 11:58
- 更新日時
- 2006/04/10 11:58
- 管理番号
- 市川20040301-01
- 質問
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解決
浦安市の境川近辺に「おっぱらみ」と呼ばれた場所があるが、地名の由来に、「行徳の塩づくりのために、江戸川の支流である境川を、真水が入ってこないようにと毎年6月7月とせきとめていたが、
1.境川近辺の人々は船で外に出る交通の便でもあった境川をせきとめられるのを潔しとせずに、それを追い払ったため
2.せきとめてふくらんだ(はらんだ)ため」というような説がある。それが事実だとしたら市川・行徳の歴史等に、行徳の塩づくりのために境川をせきとめた、また境川についてのもめごとがあったというような記述が載っているものはあるか。時代は、江戸時代のころだと思うとのこと。
- 回答
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『下総行徳塩業史』『市川市史6』『行徳塩浜と新井村の足跡』『江戸内湾塩業史の研究』『行徳塩業と塩浜由緒書市川』『民俗調査概要2(行徳・南行徳)』『元禄期における行徳塩業の基礎的研究』『行徳の塩づくり』『戦国期江戸湾海上軍事と行徳塩業』等をざっと見たが、記述なし。
歴史博物館の池田氏=>塩づくりのために川をせきとめていたというようなことは聞いたことがなく、また、伝承民話を確認してみたが、そのような記述のあるものはなし。
以上より、確認できる範囲では、市川・行徳の歴史等に、行徳の塩づくりのために境川をせきとめた、また境川についてのもめごとがあったというような記述が載っているものはなかった。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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「おっぱらみ」について:
『浦安町誌(上)』によると、江川橋から西を境川、それから東を江間川と呼び、東境橋付近を「おっぱらみ」というそうです。今回の質問の「おっぱらいの地名」の由来1.は、大体質問どおりでした。由来2.は、「境川の下流には塩田がたくさんあって、製塩を営む者が大勢いたが、入梅時期になると下流に淡水が流れ込むので、これを防ぐため、東境橋付近で端口板や土砂などを使い、その期間だけ締め切りするのを例としていたが、大雨が続いて境川が増水すると、締め切りがたちまちはらんでしまうので…」ということで、せきとめてはらんだという説ではあるものの、行徳の業者がせきとめたということではないようでした。
「平成15年度第2回浦安市文化財審議会開催結果報告」によると、「史跡表示板の原稿確認」という項目があり、史跡表示板として「おっぱらみ」をとりあげていますが、委員の方の意見として、「江戸時代の史料に出てこない状況では、伝承ということを明記する必要があるのでは。」との意見がだされていました。
- NDC
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- 関東地方 (213 8版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
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- 市川市立歴史博物館
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000028258