レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2007/04/19
- 登録日時
- 2007/09/21 02:10
- 更新日時
- 2007/10/03 16:03
- 管理番号
- 埼熊-2007-018
- 質問
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解決
織田信長(1534-1582)の肖像画の羽織に「桐」の紋があるが、その家紋を受け継いだ経緯について知りたい。
- 回答
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『日本の紋章』p186より引用。
「「桐紋」は皇室の副紋で、室町将軍の家紋でもある。信長は、様々な中世の権威を否定しながらも、永禄11年(1582)将軍家再興の祝儀として、足利義昭より「桐紋」と引両の紋を与えられ、この「桐紋」を身につけた。」
詳細については、以下の資料を紹介する。
①『日本の紋章』(毎日新聞社)p15ー156「信長本能寺に滅ぶ」の項
p16「信長が、「桐紋」「「二つ引両紋」を将軍(足利)義昭から与えられた」
p38「(将軍)足利氏が「桐紋」を菊紋につぐ栄誉の印として信長らの功臣に与えた(後略)」
②『信長公記 上』(教育社)p143-144「信長、将軍家から感状を受く」の項
「このたびの忠節により紋桐(朝廷から拝領した足利の紋)・引両筋(足利伝来の家紋)を差し上げる。軍功によって受けられるべき当然の祝儀である。」
③『日本姓氏紋章総覧(別冊歴史読本 1989.8.27号)』p14-15
「信長は、永禄11年9月義昭を奉じて入京し、翌10月義昭を第15代将軍職に就けた。同月24日、義昭は、信長に感謝の意をこめて、「桐」紋とともに「二つ引両」紋を贈った。」
- 回答プロセス
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信長の肖像画を確認する。『日本史大事典 1』p1215-1216「織田信長 肖像」の項に、愛知県長興寺蔵の織田信長像は信長一周忌に際し、家臣だった与語正勝が寄進したもので、「桐紋」の肩衣袴姿とある。その他〈家紋〉〈織田信長〉関係の資料にあたり、肖像画や関連記述を探索した。なお『考証織田信長事典』(東京堂出版)p142-147『日本の歴史 11 戦国大名』(中央公論社)p490-493でも、将軍義昭と信長との関係の記述あり。
追記:「織田系図」(『続群書類従 6 上』所収)には「織田氏之紋」に「桐之紋」があげられている。
- 事前調査事項
- NDC
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- 系譜.家史.皇室 (288 9版)
- 個人伝記 (289 9版)
- 日本史 (210 9版)
- 参考資料
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- 『日本史大事典 1』(平凡社)
- 『日本の紋章』(毎日新聞社)
- 『信長公記 上』
- 『日本姓氏紋章総覧』
- 『考証織田信長事典』
- 『日本の歴史 11』(中央公論社)
- キーワード
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- 家紋-桐
- 織田 信長(オダ ノブナガ)
- 足利 義昭(アシカガ ヨシアキ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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質問者からは信長の肖像画の羽織に「五三の桐」紋があるとのことだったが、『日本の紋章』(毎日新聞社)等の資料に、〈愛知県長勝寺の信長像の肩衣に「五七の桐」をすえ〉との記述があり、「桐紋」で調査をすすめることにした。
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000037629