レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017/03/14
- 登録日時
- 2017/11/17 00:30
- 更新日時
- 2017/11/30 17:12
- 管理番号
- HC-17031422
- 質問
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解決
あきる野市雨間地区の千人同心、丸山家について知りたい。
- 回答
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『多摩のあゆみ 148号』(2012年 たましん地域文化財団)に馬場憲一氏の連載「秋川流域の村落開発(下)」が掲載されており、p.74-75に「慶長五年正月代官頭大久保長安の推挙によって士分である八王子千人同心組頭に取り立てられ、千人同心家として雨間村で別家を興しています。このように丸山氏は甲斐武田氏の旧臣でしたが数奇な運命をたどった末に、士豪的農民として秋川流域の村落に根を下ろすことになったのです。(中略)流浪の末に秋川流域の村落に土着した丸山氏ですが、今回掲載した古文書A・Bから明らかなように、甲斐武田氏旧臣という由緒にもとづき帯刀を許され、幕府代官の命をうけ村内統治に重要な関わりを持つとともに、村内に多くの土地を所持しており、領主権力をバックに秋川流域の村落開発に主導的な役割を果たしていたことが看守できます。」と記載されています。
『学芸研究紀要 第2集』(1985年 東京都教育庁社会教育部文化課)p.33-47にも、馬場憲一氏の論文「幕末・維新期における一下級武士の行動形態-八王子千人同心丸山惣兵衛定静の場合-」の掲載があり、p.37に「幕末に至るまで丸山氏は、途中、嗣子がいなく従弟などを婿養子に迎えることはあったが、その家系は絶えることなく続き幕末までに歴代当主は九代を数えていた。千人同心を勤めた丸山氏の歴代当主はかならず組頭役に就任し千人同心の中でも重きをなし、代々俸禄として高27俵1人扶持(寛政4年の「千人組改正」以後は高30俵1人扶持)を賜っていたが、近世初頭には関ヶ原の戦や大坂夏・冬の陣に赴き、その後は日光火之番、江戸火之番などの勤役を江戸幕府の御家人として果たしていた。」と記述があるほか、千人同心就任の経緯や丸山家系図、初代小右衛門(宗重)から9代目惣兵衛(定静)までの千人同心としての主な事蹟等についても確認することができます。
『秋川市史』(1983年 秋川市)p.859-907には「秋川の千人同心」の掲載があり、p.866-870「(一)雨間村丸山家」に同様の記載があるほか、p.891-896「丸山惣兵衛の日記」には、第二次長州征伐出陣中の出来事等を綴った丸山惣兵衛の日記について紹介されています。
『八王子千人同心史 通史編』(1990年 八王子市教育委員会)p.349-351「(2)千人同心家の家格と形態」には、雨間村の千人同心であった丸山家の村落内における経済的な地位についての記載と、口絵に「千人同心組頭・丸山惣兵衛定静」の写真も掲載されています。
『丸山雄重家文書目録』(1980年 秋川市教育委員会)には、丸山家所蔵の文書約450点が目録として紹介されています。
またインターネットでは、あきる野市公式ホームページにパンフレット「あきる野市ゆかりの人」(http://www.city.akiruno.tokyo.jp/cmsfiles/contents/0000005/5110/P6-7.pdf 最終アクセス日:2017.11.16)の掲載があり、p.7に丸山惣兵衛(定静)氏について紹介されています。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 関東地方 (213 8版)
- 参考資料
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- B12248915 多摩のあゆみ 148号 たましん歴史・美術館 歴史資料室/編集 たましん地域文化財団 2012.11
- B11685793 学芸研究紀要 第2集 * 東京都教育庁社会教育部文化課 1985
- B11685870 秋川市史 秋川市史編纂委員会/編 秋川市 1983
- B11350701 八王子千人同心史 通史編 八王子市教育委員会 1992 213.65
- B11688566 丸山雄重家文書目録 秋川市教育委員会社会教育課/編 秋川市教育委員会 1980
- あきる野市公式ホームページ「あきる野市ゆかりの人」パンフレット http://www.city.akiruno.tokyo.jp/cmsfiles/contents/0000005/5110/P6-7.pdf 2017.11.16
- キーワード
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- 千人同心
- 丸山家
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000225094