レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20170804
- 登録日時
- 2018/12/28 00:30
- 更新日時
- 2019/01/06 12:59
- 管理番号
- 1003151
- 質問
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解決
沖縄で昔の人々の生活の中で砂糖がどういう風に使用されていたかのか等知りたい。
- 回答
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①
『沖縄・奄美の文献から見た黒砂糖の歴史』 (名嘉/正八郎∥著、ボーダーインク、2003.12)
p20-21 琉球国王からの返礼品として砂糖を贈った、との記述がある。
p40 「砂糖座は、この黒糖を王府の鹿児島出張所『琉球館』へ送り出し換金された。砂糖の代金で、薩摩商人から錫釜、鉄器、その他日用品を購入して、これを村々へ配布した。」との記述がある。
p49 「王府は農民の脇売(密買)を防ぐため、黒糖代金の前払いを徹底させ、それによって全黒糖生産高を買い上げる処置をとったのであった。王府がこのように指令を出すということは、それまで、百姓の脇売が盛んであったことを意味しよう。」の記述がある。
②
『近代沖縄の糖業』 (金城 功∥著、ひるぎ社、1985.11)
p13 中国から沖縄に導入、1429年には沖縄に甘蔗が栽培されていた、とある。
p17-18 砂糖は専売で、王府から島尻15間切、中頭11間切、国頭3間切、伊江島に限定されていたことが、明治まで続いた。
③
『仲原善忠全集 第1巻』 (仲原 善忠、沖縄タイムス社、1977.4)
p277-278 「砂糖の来歴」の項中、「砂糖はねだんも高く、庶民の手に入らぬ薬品同様のものであった」、と記述がある。
④
『琉球史の再考察』 (嘉手納 宗徳∥著、沖縄あき書房、1987.11)
p64 「甘蔗と砂糖の来歴」(p62-p72)の項中、酒と砂糖は同一の容器を使っていたと考えられる、という記述がある。
⑤
『琉球歴史夜話』 (源 武雄∥著、沖縄文教出版、1971.11)
p152-200 「十三 黒糖文化史」の項がある。
⑥
『糖業より観たる沖縄』 (朝武士 獅子雄∥著、内外糖業調査会、1916.2)
⑦
『旧琉球藩ニ於ケル糖業政策 全』 (安次富 松蔵∥著、天野鉄夫、1957.3)
⑧
『沖縄県糖業要覧[複製本]』 (沖縄県経済部∥編、沖縄県立図書館(製作)、2016.3)
⑨
『北部製糖株式会社十五周年記念誌』 (北部製糖∥編、北部製糖株式会社、1976.1)
⑩
『沖縄の黒砂糖を知るために 1990年7月』 (沖縄県黒砂糖工業会∥[編]、沖縄県黒砂糖工業会、[1990.7])
⑪
『沖縄史の五人』 (伊波 普猷∥原著、真境名 安興∥原著、琉球新報社、1974.5)
p20 「・・・耕作地域を限定した理由は、つまり(中略)砂糖が唯一のぜいたく品・・・」の記述がある。
⑫
『糖業彙報[マイクロフィルム複製本] 第1號 昭和12年』 (沖縄県農会∥集纂、[沖縄県農会]、1937.3)
p1-7 年表の掲載がある。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 技術 (5)
- 参考資料
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- 沖縄・奄美の文献から見た黒砂糖の歴史 名嘉 正八郎/著 ボーダーインク 2003.12 , ISBN 4-89982-055-0 (p20-21、40、49)
- 近代沖縄の糖業 金城 功/著 おきなわ文庫 ひるぎ社 1985.11 (p13,17-18)
- 仲原善忠全集 第1巻 仲原 善忠 沖縄タイムス社 1977.4 (p277-278)
- 琉球史の再考察 嘉手納 宗徳/著 沖縄あき書房 1987.11 (p64)
- 琉球歴史夜話 源 武雄/著 沖縄文教出版 1971.11 (p152-200)
- 糖業より観たる沖縄 朝武士 獅子雄/著 内外糖業調査会 1916.2
- 旧琉球藩ニ於ケル糖業政策 全 安次富 松蔵/著 天野鉄夫 1957.3
- 沖縄県糖業要覧[複製本] 沖縄県経済部/編 沖縄県立図書館(製作) 2016.3
- 北部製糖株式会社十五周年記念誌 北部製糖/編 北部製糖株式会社 1976.1
- 沖縄の黒砂糖を知るために 1990年7月 沖縄県黒砂糖工業会/[編] 沖縄県黒砂糖工業会 [1990.7]
- 沖縄史の五人 伊波 普猷/原著 琉球新報社 1974.5 (p20)
- 糖業彙報[マイクロフィルム複製本] 第1號 昭和12年 沖縄県農会/集纂 [沖縄県農会] 1937.3 (p1-7)
- キーワード
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- 砂糖
- 黒砂糖
- 黒糖
- 甘蔗
- 糖業
- 製糖
- 専売
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000249467