レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013/03/22
- 登録日時
- 2013/09/01 00:30
- 更新日時
- 2024/03/30 00:35
- 管理番号
- M13033011365790
- 質問
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日本の会社で社員教育や慰労旅行といった福利厚生制度は、いつ始まったのか。また、当時はどのようなことが行われていたのか。
- 回答
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①によると、大正10年、福島県工場協会の設立時の協議事項の中に、義務教育未終了の学齢児童を雇用する工場においては、就学上に必要な措置をとることがあげられている。そのほか、同じく大正年代に福岡県における鉱山立の託児施設が設置されたとある。
②には、明治時代の鉱業において、納屋制度といわれる企業による住宅の提供が行われており、これが後の社宅や独身寮の起源であり、家族持ちは小納屋と呼ばれる長屋に住み、これが社宅の起源であるとする記述がある。しかし、この時代における納屋・飯場における生活はむしろ悲惨なものであったため、1890年代に入って明治政府はそれを廃止し、親方にかわって企業が直接従業員の福祉に乗り出したとある。社宅、給食の提供、米の廉価販売、補助金つきの日用品の販売、労働災害への対処、共済会組織による本人と家族への医療給付、慶弔金支払い制度といったものがあったと紹介されている。
③でも②と同様、明治30年代から紡績工場の女性工員に寄宿舎や各種生活扶助などが給付されたとあり、その後、大正に入り、一部の企業により、社宅や寮、疾病扶助、教養・娯楽施設、日用品販売の給付などがみられるようなったとある。
④では南満洲鉄道株式会社が明治40年に社員養成教育及び社員教育のための教育施設を持っていたことがわかる。また、大正15年に社員会を設置し、社員簡易宿泊所等を経営していたこともわかる。
⑤では、三菱鉱業での福利厚生制度について、創業の明治6年から昭和20年までの具体的な内容がまとめてある。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 労働経済.労働問題 (366 9版)
- 参考資料
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①田中明『企業福祉論』 北大路書房,1996.3,7,196p. 参照はp35-60.
②橘木俊昭『企業福祉の終焉』 中央公論新社,2005.4,3,202p. 参照はp.23-38.
③川村匡由,亀井節子『産業福祉論』 ミネルヴァ書房,1998.10,8,211p. 参照はp.10-12.
④近現代資料刊行会企画編集『植民地社会事業関係資料集「満洲・満洲国」編13』 近現代資料刊行会,2005.9,245p. 参照はp.27-54.
⑤崎山俊雄ほか「戦前期の旧三菱鉱業株式会社における福利厚生制度の変遷について」『日本建築学会大会学術講演梗概集』,2007.8,p.459-460.
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①田中明『企業福祉論』 北大路書房,1996.3,7,196p. 参照はp35-60.
- キーワード
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- 企業
- 労務管理
- 福利厚生
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- M2013033011343765790
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 全年齢
- 登録番号
- 1000136551