レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020年01月18日
- 登録日時
- 2020/01/31 12:05
- 更新日時
- 2021/04/19 14:41
- 管理番号
- 1869
- 質問
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解決
足助出身の人で深見という姓の人が岡崎出身の僧について大樹寺にやって来たらしい。その人について知りたい。
- 回答
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①『角川日本姓氏歴史人物大辞典23』(288.1/カド)
②『新訂寛政重修諸家譜第十五』(282.2/カン/15)
③『大樹寺の歴史』(A183/シン)
④『新編岡崎市史3 近世』(A232.2/シン/3)
⑤『足助町誌』(A231.2/アス)
- 回答プロセス
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・①『角川日本姓氏歴史人物大辞典23』P860-861に「深見」氏について記載あり。
→足助に深見姓の者がいたこと。岡崎新堀村に深見姓の木綿問屋がいたことが分かった。また、足助成瀬家の家譜が載っている『新訂寛政重修諸家譜第十五』に他七姓と共に、深見という姓が登場している事が分かった。
・①より②P126~127を見るも、他姓と共に足助にいたという事しか分からず、それ以上の記述はなかった。
・岡崎(大樹寺)側から深見氏を探るため③『大樹寺の歴史』をブラウジング→深見氏について記述なし。
・同様に、岡崎における深見氏を探して、『新編岡崎市史3』をブラウジング。
→◎岡崎城と足助は、矢作川や中馬街道を通じて、人や物の交流があったこと(P1315)
◎岡崎新堀村に深見太郎右衛門という木綿問屋がいたこと(P1243)
◎上記深見一族が、歌壇において大きな影響力を持っていたこと(P1112-1118,1148,1241)
◎幕末に、深見太郎右衛門の分家、深見篤慶が公家と関係を持ち、尊攘派志士をかくまうなどしていた事。
が分かった。しかし、深見氏と足助の関係を追うことはできなかった。
・足助側から深見氏について探るため、⑤『足助町史』をブラウジング。
→◎中馬街道により、物流や人の通行が盛んで、岡崎城ともつながりがあったこと。(P10,299-309)
◎真弓山城(足助)の城主に深見中将という人物がいたこと(P215)
◎足助にある史料「秋葉山太々講加記」に深見宗七郎という人物が焼失した秋葉社の再建のためにお金
神納していたこと。(P312)
◎足助に岡崎城の者が木綿や漆を買いに来ていたこと。(P232)
が分かった。しかし、足助の深見氏と岡崎の関係を追うことは出来なかった。
⇒結論
・岡崎、足助両村に「深見」という姓の者が認められるが、いづれの者も、両村に由縁を持つとは言い切れない記述であった。ただ、岡崎と足助の間は、物や人の交流がさかんであったため、本題のような村間移動があってもおかしくはない環境であったといえる。
- 事前調査事項
- NDC
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- 系譜.家史.皇室 (288 9版)
- 経典 (183 9版)
- 参考資料
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角川日本姓氏歴史人物大辞典23.愛知県姓氏歴史人物大辞典編纂委員会編著 , 愛知県姓氏歴史人物大辞典編纂委員会 , 竹内, 理三. 愛知県. 角川書店, 1991. (288.1/カド)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000096-I006339224-00 , ISBN 4040022300 -
新訂寛政重修諸家譜第十五.堀田正敦 等編 , 堀田, 正敦, 1755-1832. 続群書類従完成会, 1965.
(282.2/カン/15)https://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I001315775-00 -
大樹寺の歴史 改訂版.浄土宗成道山松安院大樹寺 , 大樹寺. 浄土宗成道山松安院大樹寺, 2006.
(A183/シン/)https://iss.ndl.go.jp/books/R100000096-I007126654-00 - 新編岡崎市史3 近世. 新編岡崎市史編集委員会, 1992.(A232.2/シン/3)
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足助町誌. 愛知県東加茂郡足助町,足助町誌編集委員会 編集 , 足助町. 1975.(A231.2/アス)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I071647000-00
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角川日本姓氏歴史人物大辞典23.愛知県姓氏歴史人物大辞典編纂委員会編著 , 愛知県姓氏歴史人物大辞典編纂委員会 , 竹内, 理三. 愛知県. 角川書店, 1991. (288.1/カド)
- キーワード
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- 一般書
- 岡崎市
- 大樹寺
- 家譜
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000273240