レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018年8月10日
- 登録日時
- 2018/08/22 16:27
- 更新日時
- 2018/08/29 11:32
- 管理番号
- 県立長野-18-062
- 質問
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未解決
佐久間象山と交流があったらしい東郭という人物について知りたい。『象山全集』上巻p630の漢文「跋停雲館帖」(文久元年五月と注あり)に「東郭」「東郭子」と出てくる。
- 回答
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当館資料を調査したが、東郭について記述のある資料は見つからなかった。
『象山全集5巻』佐久間象山著 信濃教育会編 信濃毎日新聞1935年【N080/4/5】 のp297に
文久元年五月廿八日 「〔九六四〕八田槇蔵に贈る」(松代町 八田彦次郎蔵)という書簡の掲載があり。内容は「此閒は御柱趾被下辱奉存候其節御話之停雲館帖今日山口より一寸取寄せ候まま懸御目候~(後略)」というもので、その説明に「停雲館帖(金子雪庵の舊蔵にて新たに山口東郭の手に移れるもの)」という記述あり。
そこから、山口東郭について調査したが、記述のある資料は見つからなかった。
- 回答プロセス
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①国会サーチで、「東郭」「象山」で検索。「和田東郭」と「神吉東郭」がヒットするが、調べると和田東郭は1803年、神吉東郭も1841年に死去している。文久元(1861)年なので、この二人は該当しない。象山が文久元(1961)年51歳で、当時松代に在住しており、翌年蟄居を解かれ京都へ戻っている。
②佐久間象山についての本を調査。『佐久間象山公務日記』柄澤義郎編信濃毎日新聞社1931年、『佐久間象山』宮本仲著 象山社1979年 p586~621「交友と門人」、『佐久間象山 江戸の師友と門人』新右衛門屋敷・象山桑原記念館編・発行1993年などを調査したが「東郭」について記述無し。
③『象山全集』巻1~巻5増訂版 信濃教育会出版部1975年を確認。『象山全集』巻5のp297に、文久元年五月廿八日「〔九六四〕八田槇蔵に贈る」という停雲館帖について書いた書簡が掲載されており、「停雲館帖(金子雪庵の舊蔵にて新たに山口東郭の手に移れるもの)」と記載あり。
そこから、山口東郭について郷土の人物誌や、『松代町史』下巻 大平喜間多編 臨川書店1986年 p507〜693「第6編人物史」、『更級埴科地方誌』第3巻近世編下 更級埴科地方誌刊行会1981年 p6〜11「更埴地方の文化」を探したが記述のある資料は見つからなかった。
- 事前調査事項
- NDC
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- 叢書.全集.選集 (080 8版)
- 個人伝記 (289)
- 参考資料
- キーワード
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- 東郭
- 佐久間象山
- 象山全集
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000241053