レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013/09/20
- 登録日時
- 2013/09/30 00:30
- 更新日時
- 2022/03/18 12:50
- 管理番号
- 6000013061
- 質問
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解決
千里中央駅は1970年の大阪万博の終了後に開設されたと聞いたが、そのときの写真が載っている本はあるか。
- 回答
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『北大阪急行25年史』(1994年発行)『北大阪急行電鉄株式会社の記録』(1971年発行)に、千里中央駅開設時の写真があり。
追記
『北大阪急行50年史 1967-2017』(2018年発行)p42.43にも写真あり。
- 回答プロセス
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『北大阪急行25年史』(北大阪急行電鉄株式会社)p91「千里中央駅開設」に、日本万国博覧会が終了した翌日(昭和45年9月14日)に千里中央駅~江坂駅間で営業を開始したとの記載があり、初発列車のテープカットの写真と開業当初の千里中央駅プラットホームの写真があり。なおp82「待望の開通式-運輸営業開始-」によると北大阪急行電鉄は昭和45年2月24日から9月13日までは江坂駅~万国博中央口駅で営業していた。この期間は仮設千里中央駅(千里西橋付近)を使用していたとのこと、p63に仮設千里中央駅の写真があり。
また『北大阪急行電鉄株式会社の記録』(北大阪急行電鉄株式会社)には、日本万国博会場への輸送に関する写真のほか、千里中央駅の起工式・躯体工事・プラットホーム写真、仮設千里中央駅のホーム築造工事の写真があり。
『千里ニュータウン』(大阪府企業局)p34「中心施設=地区センター・サービスセンター」にも千里中央駅と思われる駅の写真があるが、撮影年次等の記載はない。この資料の発行年は奥付には記載がなく、内容から万国博終了後と思われる。なお大阪府立図書館の資料目録では発行年を1975年としている。
このほか、『新修豊中市史第2巻 通史2』(豊中市)p748「万博開幕と北大阪急行」『新修豊中市史第8巻 社会経済』p715「千里ニュータウンの建設と商業施設の整備」には当時の状況についての記載があるが、駅の写真はなし。
『千里の道 大阪府千里センターのあゆみ 1962-2005』(大阪府千里センター)p18「中央地区センター」には昭和45年の千里中央地区の写真があるが、千里中央駅の写真はなし。
『保存版 豊中・吹田今昔写真集』(郷土出版社)p66には昭和45年の万博会場に向かう電車と、平成19年の同じ場所を走る大阪モノレールの写真があるが、千里中央駅の写真はなし。
『目で見る豊中・吹田の100年』(郷土出版社)p122-123には昭和45年の大阪市営地下鉄・北大阪急行の路線を俯瞰した航空写真や、昭和43年の新千里東町・新千里北町付近の写真があるが、千里中央駅の写真はなし。
- 事前調査事項
- NDC
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- 鉄道運輸 (686 9版)
- 日本史 (210 9版)
- 参考資料
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- 『北大阪急行25年史』北大阪急行電鉄株式会社/編集
- 『北大阪急行電鉄の記録』北大阪急行電鉄株式会社/編集
- キーワード
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- 北大阪急行(キタオオサカキュウコウ)
- 千里中央駅(センリチュウオウエキ)
- 日本万国博
- 大阪万博
- 昭和
- 千里ニュータウン(センリ ニュータウン)
- 豊中(トヨナカ)
- 歴史
- 鉄道
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 庁内
- 登録番号
- 1000137654