レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年11月24日
- 登録日時
- 2013/08/19 16:02
- 更新日時
- 2013/12/14 10:46
- 管理番号
- 埼久-2013-038
- 質問
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解決
中島撫山の息子中島綽軒(しゃくけん)が栃木県内に開いた私塾の功績を讃えた碑文が太平山公園(栃木県)にある。その口語訳と読み下しが書かれた資料を探している。
- 回答
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下記の資料を提供した。
『中島敦とその家学 鵬斎門流の中島撫山』(村山吉広 1977)
p117-119 「中島綽軒」
「この人の伝は次弟斗南の遺した「斗南存稿」中の「綽軒中島先生遺愛碑」によって知られる。いま、行状に関する部分を抄出する。」とあり、碑文のほぼ全文に近い書き下し文が掲載されている。
- 回答プロセス
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中島綽軒の本名、略歴を調べる。
『中島敦と私』(久喜・中島敦の会編 久喜・中島敦の会 2009)
巻末に「中島撫山略年譜」に長男靖(靖次郎・綽軒)の生年、1880年(明治13年)に栃木市に漢学塾「明誼学舎」を開くとあり。
「明誼学舎」について調べる。
『中島撫山小伝』(鷲宮町教育委員会 1983)
p11没年、遺愛碑についての記述あり。撰文は次弟の端、書は三弟の竦である。
『中島撫山関係調査報告書 1 久喜市文化財調査報告書』(久喜市教育委員会 2000)
p14明誼学舎の場所、遺愛碑明治45年に建立との記述あり。図版モノクロ写真あり。
『中島撫山 没後100年展』(久喜市立郷土資料館編 久喜市立郷土資料館 2011)
p8遺愛碑は弟の中島斗南の撰文(『斗南存稿』所収)との記述あり。カラー写真あり。
その他、碑の写真、本文等についての記述がある資料。
『評伝・中島敦』(村山吉廣著 中央公論新社 2002)
p59「碑文は委嘱により綽軒の異母弟で次男の端(斗南)が撰文し、書は三男の竦(玉振)が当った。撰文は「綽軒中島先生遺愛碑」と題し、端の詩文 集である『斗南存稿』に収められている。」とあり。碑の写真(白黒)があるが、本文、書き下し文等なし。
『斗南存稿』(中島勿堂〔著〕 中島竦編 新井松四郎 1932)
p57-58遺愛碑の本文はあるが、口語訳、読み下し文なし。
『栃木県教育史 3』(栃木県連合教育会 1957)
p702 明誼学舎の所在、沿革、遺愛碑の本文等についての記述あり。
- 事前調査事項
- NDC
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- 教育史.事情 (372 9版)
- 個人伝記 (289 9版)
- 日本思想 (121 9版)
- 参考資料
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- 『中島敦とその家学 鵬斎門流の中島撫山』(村山吉広著 村山吉広 1977) (中國古典研究22号〔早稲田大学中国古典研究会〕〔1977〕p107-130の抜刷)
- キーワード
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- 中島 綽軒(ナカジマ シャクケン)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000135513