レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015年3月26日
- 登録日時
- 2015/10/05 00:30
- 更新日時
- 2016/11/30 17:33
- 管理番号
- 2015022
- 質問
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解決
丈六寺の血天井について知りたい。
- 回答
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土佐の長曽我部元親が富岡城の城主新開遠江守忠之入道道善をだまし討ちにした際、縁板に血がしみ込んだ。何度拭いても血は消えず、その縁板はのちに徳雲院の天井として用いられた。
- 回答プロセス
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蔵書検索で「丈六寺」を検索し、『阿波 丈六寺』『丈六寺案内』『丈六寺血天井幻想』を確認した。
『阿波 丈六寺』 丈六寺顕彰会
保存されている美術品などの写真集で、血天井についての記述はなかった。
『丈六寺案内』 丈六寺顕彰会/p7
天正10年、阿波のほぼ全域を占領した長曽我部元親は、寝返るおそれがあるとして丈六寺で新開遠江守をだまし討ちにした。長曽我部方が占領していた勝瑞城と富岡の中間の地点として丈六寺がだまし討ちの場所に選ばれた。阿波志には一の門の内側で襲われたとある。
『丈六寺の姿』 藤目先生退職記念刊行会事務所/p115
阿波に攻め入った土佐勢は、富岡城の城主新開遠江守忠之入道道善を謀計により葬ろうとした。丈六寺に新開方をおびき出し、談合の後書院の縁側で忠之を襲った。乱闘の中、忠之は横山源兵衛に討たれた。
縁板にしみこんだ手の形・足の形・血塊のあとは拭っても洗っても消えなかった。
『丈六寺血天井幻想』 パブリック・ブレイン/p4
天正10年9月16日、新開遠江守実綱(入道道善)と配下の家来は、長宗我部元親の陰謀により、和睦を祝う酒宴の席で皆息絶えた。縁ノ板の血痕は何度拭いても消えることはなく、後に天井にした。
県内の寺について書かれた資料として、『徳島県寺院事典 上』を確認した。
『徳島県寺院事典 上』 しゃくなげ会/p156
徳雲院には、新開遠江守道善が土佐長曽我部氏との会見後暗殺された時の血糊がついたという血天井がある。
- 事前調査事項
- NDC
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- 各宗 (188 9版)
- 芸術政策.文化財 (709 9版)
- 参考資料
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高田 豊輝/著 , 高田‖豊輝. 丈六寺案内. 丈六寺顕彰会, 1999.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I012803249-00 -
藤目 正雄/著 , 藤目‖正雄. 丈六寺の姿. 藤目先生退職記念刊行会, 1957.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I008575236-00 -
田中省造 編 , 田中, 省造, 1948-. 徳島県寺院事典 上. 徳島県出版文化協会, 1998.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002737422-00 -
岡幻峰 著 , 岡, 幻峰, 1953-. 丈六寺血天井幻想 : 新開氏と長宗我部氏の歴史の実像に挑む. パブリック・ブレイン, 2012.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I024157811-00 , ISBN 9784905295150 -
丈六寺顕彰会 編 , 丈六寺顕彰会. 阿波丈六寺. 丈六寺顕彰会, 1978.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001405760-00
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高田 豊輝/著 , 高田‖豊輝. 丈六寺案内. 丈六寺顕彰会, 1999.
- キーワード
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- 丈六寺
- 血天井
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000182066