レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021/12/15
- 登録日時
- 2022/01/16 00:30
- 更新日時
- 2023/07/13 13:34
- 提供館
- 宮城県図書館 (2110032)
- 管理番号
- MYG-REF-210144
- 質問
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解決
「閑さや岩にしみ入る蝉の声」は,松尾芭蕉が,元禄2年5月27日(西暦1689年7月13日),立石寺に参詣した際,詠んだ句である。2019年7月13日に立石寺に行ったが,蝉は鳴いていなかった。日付に誤りはないか。蝉の鳴き声に関する句の解釈はどうか。
- 回答
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1. 日付について
資料1 芭蕉[著]萩野恭男[校注]『おくのほそ道:付曾良旅日記奥細道菅菰抄』岩波書店,1991【915.5/マハ91Z】
pp.45-46『おくのほそ道』立石寺の項「<立石寺> 山形領に立石寺と云山寺あり。(中略)閑さや岩にしみ入る蝉の声」 と記載がありました。
pp.107-108『曾良旅日記』五月の項「廿七日 天気能。辰ノ中尅,尾花沢ヲ立テ立石寺ヘ趣。(後略)」と記載がありました。
資料2 日外アソシエーツ[編集] 『江戸近世暦:和暦・西暦・七曜・干支・十ニ直・納音・二十八(七)宿・二十四節季・雑節』日外アソシエーツ,1987【449.81/187/R】
p.216「日本暦元禄2年5月27日,西暦1689年7月13日」と記載がありました。
2. 当時の蝉の声の解釈について
資料3 堀切実[編]金子俊之ほか[著]『『おくのほそ道』解釈事典:諸説一覧』東京堂出版,2003【915.5/マハ038/R】
(1)p.135「蝉の声を,人の心に染みとおる死霊の声にほかならないと解釈する。『閑かさや』の語は,額面通りの幽清閑寂の意味だけではなく,寂静・涅槃の詩の世界に通じる底なしの深さを極めているものとする。」と記載があります。
(2)p.136「『蝉の声』は,芭蕉の命の声であり,そのまま自然に溶け込んでゆく感じを表現している。これは,道元が説く『心身脱落』(自我を打ち破りあるがままの境地になること)を示すもので,単なる静かさの表現ではないと解釈する。」と記載があります。
(3)p.136「芭蕉にとって『蝉の声』は,この山寺に祀られている霊の声であったとする土地の人々の霊の声が今,蝉の声となって自身を包み全山を包んでいると,芭蕉自身が感じていたのではないかと推察する」と記載があります。
(4)p.134「句文の表現のしかたの典拠に,王籍の詩や『寒山詩』等が指摘されている。句の解釈については,近年では,閑寂・沈黙を表現する手法の現われとして,〝音風景〟(サウンドスケープ)という視点から,この句を分析する説が提示されている。」と記載があります。
(5)p.136「蝉の声により周囲の閑さがいっそう感じられるという趣旨から,王籍の「入ニ若那渓一」の「蝉噪ギテ林いよいよ逾静カナリ,鳥鳴キテ山更ニ幽ナリ」などが指摘されているが,」と記載があります。
資料4 尾形仂[著]『おくのほそ道評釈』角川書店,2001【915.5/マハ015】
p.282「もう一つ,定稿の形に即していえば,蝉の声があることによっていっそうあたりの閑寂さが深まって感ぜられるという把握の仕方には,多くの先注の指摘がするように,「蝉噪ギテ林いよいよ逾静カナリ,鳥鳴キテ山更ニ幽ナリ」(王籍「入ニ若那渓一」),「伐木丁丁山更ニ幽ナリ」(杜甫「題ニス張氏ガ隠居ニ一」),「一鳥不レなかず啼山更ニ幽ナリ」(王安石「鍾山」などの一聯の詩句のパターンがすでに存するのを無視できない(その点からいえば,「物の音きこえず」という環境の中で,蝉は一匹,今鳴き出したばかりということになろう)。「古池や」の句も,また同じパターンによっている。「閑さや」の句の俳諧性は,一応そうした二重の本詩取りの上に成り立っているということができるであろう。」と記載があります。
p.283「そうした発句の発想・推敲の過程においてたえず反芻された『寒山詩』的世界との交響の上に成り立っているといっていい。」と記載があります。
3. 蝉の鳴き声の効果について
資料5 堀切実[著]『芭蕉の音風景:俳諧表現史へ向けて』ぺりかん社,1998【911.32/マハ986】
(1)p.32「日本人は古来,この母音に近い「虫の音」を左脳で処理しながら,その「声」に季節のやすらぎやもののあわれを感じ,和歌や俳諧の題材の中心をなすものとして,これを扱ったことなど,」と記載があります。
(2)p.88「この晩年の作品では,まず,「閑かさや」,「塚も動け」,(中略)など,音が静寂をあらわすとともに象徴的効果を発揮しているものが著しく目立つ。生命や魂の象徴となっているものもある。(中略)晩年には,さらに音なき音の世界""負の音の世界""静寂を象徴する音の世界"そして"内面的な象徴性豊かな音の世界"など,じつに多彩な変化をみせている。芭蕉における音のイメージには,このような質的な変化,推移が見届けられるのである」と記載があります。
(3)資料3(p.136)「はじめに「閑さや」という"主観的感興"があり,次に,"主観的ムーブメント(出来事)"として「岩にしみ入」が続き,最後に"音"として「蝉の声」がくるのであり,これは"絶対的客観とでもいうべき音"であるという。」と記載があります。
4. 句に登場する蝉の種類と初鳴について
資料6 中尾舜一[著]『セミの自然誌:鳴き声に聞く種分化ドラマ』中央公論社,1990【CS/979】
p.84「ちなみに,芭蕉が,立石寺を訪れたのは,太陽暦七月一三日であった。この頃山形に出る可能性のあるセミは,エゾハルゼミ(五月-七月上旬),ニイニイゼミ(六月下旬-八月下旬),ヒグラシ(七月上旬-八月下旬),アブラゼミ(七月中旬-八月下旬)であろう。アブラゼミ・ヒグラシは初鳴がぎりぎりのところ,エゾハルゼミは終鳴期で,共に出現期に難がある。また,鳴き声からいっても,(中略)つまるところ芭蕉の立石寺のセミは,ニイニイゼミ以外にないということになる。セミの出現期が文学論争を左右した,珍しくも面白い出来事であった。」と記載がありました。
参考までに「山形地方気象台 2019年季節現象観測2019年生物季節観測」によれば,「ニイニイゼミの初鳴 平年7月10日,2019年7月4日,平年との差6日早い,場所構内」と記載がありました。(https://www.jma-net.go.jp/yamagata/seibutu/seibutu_thisyear.html 最終アクセス:2019/8/24)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日記.書簡.紀行 (915 9版)
- 参考資料
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- 芭蕉/[著] 萩原 恭男/校注. おくのほそ道. 岩波書店, 1991.12【915.5/マハ1991.Z】:
- 日外アソシエーツ株式会社?編集. 江戸近世暦. 日外アソシエーツ, 2018.7【449.81/2018.7/R】:216
- 堀切/実∥編 金子/俊之∥[ほか]著. 『おくのほそ道』解釈事典. 東京堂出版, 2003.8【915.5/マハ2003.8/R】:
- 尾形 仂/著. おくのほそ道評釈. 角川書店, 2001.5【915.5/マハ2001.5】:
- 堀切 実/著. 芭蕉の音風景. ぺりかん社, 1998.6【911.32/マハ1998.6】:
- 中尾 舜一/著. セミの自然誌. 中央公論社, 1990.7【CS/979】:
- キーワード
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- 俳諧--評釈
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- その他
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000310770