レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020年09月18日
- 登録日時
- 2021/01/28 16:36
- 更新日時
- 2021/02/16 11:41
- 管理番号
- 相-200013
- 質問
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解決
夏目漱石や川端康成など、いわゆる文豪と呼ばれる作家が書いた卒業論文を知りたい。
- 回答
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・『漱石研究年表 増補改訂』荒正人著 集英社 1984
夏目漱石の生涯について月日単位で記述した資料です。「明治二十六年癸巳(一八九三)二十七歳」のp.148に「★七月十日(月)、午前九時から、帝国大学文科大学卒業証書授与式行われ、英文学科第二回生(中略)として卒業する。(卒業論文はない)」とあります。
・武田勝彦「康成の卒業論文」『孤影の哀愁』教育出版センター 1981
p.7に「大正十三年三月、川端康成は東京帝国大学文学部国文学科を卒業した。その時の卒業論文が「日本小説史小論」である。現在、活字化されているのは、その序言の「日本小説史の研究に就て」である」とあり、卒業論文の概要について記述があります。
・『近代文学研究叢書 第63巻』昭和女子大学近代文学研究室著 昭和女子大学近代文化研究所 1990
「菊池寛」の「一 生涯」「ロ 修学時代」のp.177~178に「京都帝国大学英文科選科に入り」「主として英国及び愛蘭近代文学を研究」「卒業論文は「英国及び愛蘭の近代劇」と題するものであった」とあります。
・若尾紀夫「盛岡高等農林学校と関豊太郎教授と宮澤賢治(22) : 江刺郡土性調査と賢治「得業論文」」『北水会報』岩手大学農学部北水会 2019.1 p.9~19
宮沢賢治の得業論文「腐植質中ノ無機成分ノ植物ニ対スル価値」の概要が記されています。
※こちらの論文は岩手大学リポジトリ(https://iwate-u.repo.nii.ac.jp/)でインターネット公開されています。
・『中島敦全集3』中島敦著 筑摩書房 2002
p.5~200に「卒業論文 耽美派の研究」が所収されています。「解題」のp.674に「耽美派の研究」について「中島の東京帝国大学文学部国文学科の卒業は昭和八年三月であるが、その卒業論文として提出されたものである」という記述があります。
・『小林多喜二全集 第6巻』小林多喜二著 新日本出版社 1993
p.299~359に「卒業論文 見捨てられた人とパンの征服及びそれに対する附言。」が所収されています。「解題」のp.598に「小樽高等商業学校の卒業論文」とあります。
・『未刊行著作集19』明治大正昭和文化研究会監修 白地社 2002
福永武彦の「東京帝国大学文学部仏蘭西文学科の卒業論文『詩人の世界、ロートレアモンの場合』の仏文原文を翻刻したもの」がp.348~414に所収されています。
・『阿部次郎全集 第13巻』阿部次郎著 角川書店 1962
p.427~517に「卒業論文 スピノーザの本體論(哲學及哲學史論文)」が所収されています。「解説」のp.526に「『スピノーザの本體論』は、東京帝国大学哲学科に学んだ筆者が、井上哲次郎教授のもとに提出した卒業論文である」とあります。
・磯田光一「福田恆存の卒業論文」『福田恆存』河出書房新社 2015
福田恆存の卒業論文の題目について「現物の表紙には『Moral Problems in D.H.Lawrence-ディー・エッチ・ローレンスに於ける倫理の問題』と書かれている」とあります。本文は所収されておりません。
・村松剛「卒業論文をめぐつて」『小林秀雄全集 別巻2 新訂』新潮社 1979 p.99~103
p.99に、小林秀雄が昭和元年に書いたランボオ論を「大学の卒業論文にするために(中略)フランス語に書きなおした」「題はArthur Rimbaud」等の記述があります。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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芥川龍之介については、全作品事典などでウィリアム・モリス研究であったとわかっている。
- NDC
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- 日本文学 (910)
- 参考資料
- キーワード
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- 卒業論文
- 文豪
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000293098