1.音楽辞典・事典で確認したが、「ヒフミ唱法」の項目なし。
2.CiNiiを検索。「ヒフミ唱法」と入力し、下記2点の論文を確認した。
・『戦前の唱歌教育における唱法教授の変遷(1)明治10年代の小学校教師用書を中心に』
「小学校での唱歌教育の導入と音楽取調掛の設置(1879[明治12]年)に尽力した伊澤修二(1851-1917)は、それらの事業に着手すべく「上申書」を、1878(明治11)年4月8日に目賀田種太郎と連名で文部大輔田中不二麿に提出した後、同年6月にアメリカから招聘した音楽教師メーソン(Luther Whiting Mason 1828-1897)と作成した「唱歌掛図」(黒板に掛けて使用する教材で、ボストンの初等学校で使用していたであろうメーソンの著作による "National Music Charts" をもとに作成された)を「唱歌法取調書」とともに提出した。この「唱歌法取調書」に添付された四点の「唱歌法凡例」のうち、次の二項目には興味深い内容が記されている。」として、次に凡例一が転記されている。
「一、一二三四五六七八ハ「スケール」ノ名ニシテ、ヒー、フー、ミー、ヨー、イー、ムー、ナー、ヤー、ト読むベシ。コハ謡フニ其調ヨキガ為ナリ。」
それについて、論文者は「一二三四・・・の数字は「音階」の名前で、順に一(ヒー)、二(フー)、三(ミー)・・・と読むこと(=ヒフミ唱法)を、・・・」と説明されている。そして、「無論、ここには具体的な唱法名は現れていないが、日本における「階名唱」と「音名唱」の起源は、おそらくこの伊澤の示した「歌唱法凡例」にあったと考えて間違いないだろう。」と記述している。
・『唱法再考:固定ド存置、および移動ド代替案としてのヒフミ唱法復活の提案』
「歴史的視点(古田の研究より)」の見出しに、年代別に唱法の歴史における変遷が述べられている。参考文献の『わが国の音楽教育における読譜と歴史的な変遷について[Ⅰ]<固定ド>と<移動ド>の音感と唱法の問題を根底に』に述べられていることがわかった。
3.『わが国の音楽教育における読譜と歴史的な変遷について[Ⅰ]<固定ド>と<移動ド>の音感と唱法の問題を根底に』をCiNiiで検索し、論文を確認した。
「唱歌教育における読譜と唱法について(1)明治時代」の見出しの元に、「ヒフミ唱法」についての経緯が書かれており、それによれば伊沢修二の「唱歌法凡例」が、わが国の学校音楽教育の「読譜」における「唱法」を「階名(ヒー、フー、ミー、ヨー、イー、ムー、ナー、ヤー)」による「階名唱法」と決定付けた最初のものであったと述べている。
4.2および3で言及されている、「唱歌法取調書」、「唱歌法凡例」、「唱歌掛図」について、あるいはそれに至る経緯とその後の経過に関しては、多くの資料がある。
所蔵している資料をOPACで検索。
・OPACのキーワード 「伊澤修二」で検索。『毫モ異ナル所ナシ : 伊澤修二の音律論』、『国家と音楽 : 伊澤修二がめざした日本近代』などがあり、いずれも参考文献が充実している。
・OPACの分類「767.7 学校唱歌. 童謡」で検索。『唱歌教育成立過程の研究 / 山住正己』。
・OPACの分類「760.70 研究法. 指導法. 音楽教育. コンクール. 留学ガイド. 音楽大学等」で検索。『近代音楽教育論成立史研究 / 河口道朗著』、『 西洋音楽の導入 / 田甫桂三編著』など。
・OAPCの分類「762.1 日本(伝統邦楽を除く)」で検索して「明治」で絞り込み。『近代日本洋楽史序説 / 中村洪介』など。