○讃岐のこころ 対談集 四国新聞社/編 丸山学芸図書 1983.4
→p.157-164「七十余年の作家生活~新田藤太郎」という記事の中に
「肉弾三勇士」に関する記述があった。
「(阪根)先生の作品のなかで戦前につくられた有名なブロンズ「肉弾三勇士」がありますが・・・
(新田)戦争でつぶれてしまいました。戦後、つくり直す話が何回かあったが、時代が変ったので、金が集まりませんでした。あの作品は、最初の構想では三人が走っているのではなく、一人が鉄砲でやられたところを考えていたのですが、つくり出すと軍の幹部がつきっきりで注文をつけるので、最初の構想と違ったものになりました。あのときの軍隊といえば、命令と服従しかなかったからね。それでもあの作品の人気がよかったのは、三人のモデルの個性を徹底的に調べあげたからでしょう。
(阪根)そんな苦心があったのですか。「肉弾三勇士」の原型は残っていないんですか。
(新田)残っていません。二千点くらいあった作品とともに、空襲でやられてしまいました。また、全国に約180基ぐらいあった銅像も、供出で持っていかれてしまいました。東京・目黒区の正覚寺にある「先代萩・政岡」の銅像は、いったん持っていかれたのですが、戦争が終わったので、また戻してくれました。」
また、新田藤太郎の作品については次のものがある。
○新田藤太郎作品集 高松市立美術館 1971.10
→この資料には「肉弾三勇士」の小さい写真が一点掲載されているだけでこの作品に関する説明は掲載されてなかった。この資料には、「略年譜」、「中央展出品歴」も掲載されていますが、昭和初期から終戦前、東京で活動されていた時期についての記述はなかった。
(以上)
また、新田藤太郎の経歴について、下記の資料に掲載があるが、昭和初期から終
戦前、東京で活動されていた時期についての記述はなかった。
○香川県人物・人名事典 四国新聞社/編 四国新聞社 1985 p.64
○香川県大百科事典 四国新聞社出版委員会/編 四国新聞社 1984 p.728
→「代表作には、「肉弾三勇士像」・・・などがあり・・・」という記述有。
○郷土歴史人物事典 香川 香川県中学校社会科研究会/編 第一法規出版 1978.6
p.173
→「代表作に東京芝の「肉弾三勇士像」、・・・」という記述有。
○さぬきの顔 ベルブックス 山田竹系/著 四国毎日出版社 1977.7
→p.114-119「彫塑家 新田藤太郎~酒を友にし郷里を愛しー数多くの作品を制作」
というインタビュー記事有。インタビュー内では「肉弾三勇士像」についての記述は
ない。
※記事の末尾に「略歴」が掲載されており、「肉弾三勇士像をはじめ多くの作品があり、・・・」という記述有。
(関連資料)
・銅像受難の近代 平瀬礼太/著 吉川弘文館 2011.2
日販マーク内容紹介:明治以降、次々と建てられた楠木正成・二宮金次郎・西郷隆盛など偉人たちの銅像。その多くは時代に翻弄され、戦時中に鋳潰されたり、戦後に撤去されたりした。銅像たちの数奇な運命を激動の近現代史の中に読み解く。
※p.164-168「肉弾三勇士」あり。