レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021/4/15
- 登録日時
- 2021/09/11 00:30
- 更新日時
- 2021/09/12 09:22
- 管理番号
- 北方 21-0014
- 質問
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解決
交通安全「旗の波」運動という街頭で黄色い旗を振るスタイルはいつ、なぜ始まったか、北海道独自の交通安全運動なのか、起源を知りたい。
北海道庁道民生活課によると昭和56年7月決定として実施要項が作られているが、始まった経緯については記録がない。
- 回答
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国会デジタルコレクションで「黄色い旗の波運動」を検索したところ、次の資料がヒット。当館雑誌、『人と車』1982年4月号18巻4号の26ページ~27ページの、北海道交通安全協会専務理事酒井勘彌氏が寄稿した「黄色い旗の波運動~各戸に、車両に、交通安全旗~」に詳しく由来が掲載。
こちらの資料は国立国会図書館デジタル資料でもあるため、参加館となっている図書館で閲覧可能。
以下、抜き書き。
「北海道では、古くから黄色い布地に「交通安全」と黒書した、いわゆる”交通安全旗”をポールに掲げ、道端に固定して、交通安全を呼びかけている。この安全旗を全道に広めようと、昨年春、警察の提唱もあって「黄色い旗の波運動」を展開することになった。第一段階では、モデル地区として、特に事故の多い釧路方面の中標津警察署が受け持つ中標津町、標津町、別海町、羅臼町の四町が選定された。
この四町は、人口五万五千人、世帯一万七千、車両が二万台、昭和五十五年まで過去十年間の死者は、百二十九人である。
全道のここ十年間の死者は、五千ハ百九十三人であるから、全道民の〇・.一%が犠牲になっている勘定だ。一方、四町では全町民の〇・二%以上であることから、全道平均の二倍にもなっている。
作戦として、北海道交通安全協会では約百万円を投じて、黄色い旗の反物を現地に送り、現地では住民一人ひとりが運動に参加するよう、これを横九十センチ・縦五十センチに切ったものを各戸に配った。家庭では、主婦や子どもまでが、思い思いに交通安全に結びつく文字を手書きし、いわゆる手づくりの旗を街頭あるいは家の玄関前に掲げた。また、車のアンテナにも黄色い三角旗をいっせいにつけたのである。かくして全戸に、車両にと安全旗がひるがえり、文字どおり「黄色い旗の波運動」が展開されたのである。したがって、町ぐるみに住民の安全意識が盛り上がり、、運動を実施した四月から今年三月十五日までの十一か月半の死者は十人で、前年対比では、五人の三三・三%減という数字が出た。」とあり。
雑誌が1982年4月に刊行されたことから、1981年4月から実施されたものとみられる。
他の資料で記述がないか種々資料を調査したが、こちらの資料以外は確認できず。
- 回答プロセス
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(使用ツール)
国立国会図書館サーチ
- 事前調査事項
- NDC
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- 交通政策.行政.経営 (681 7版)
- 参考資料
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- 1 人と車 第18巻第4号通巻333号 全日本交通安全協会 1982.4 Z503
- キーワード
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- 交通安全
- 旗の波運動
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事項調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000304548