レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2017/04/14 11:25
- 更新日時
- 2017/07/24 12:50
- 管理番号
- 122
- 質問
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解決
かつて尼崎の庄下川にあった「かき船」の資料はあるか。
- 回答
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大阪名物として知られた「かき船」は、元禄年間(1688-1704)に広島の牡蠣養殖業者が消費地である大阪へ船で牡蠣を運搬し販売したのが始まりで、後に調理した牡蠣を船上で食べさせるようになったといいます。
尼崎では、遅くとも昭和初年には、旧尼崎城内の南を東西に貫く本町通に架かる橋のたもとに2店があり、いずれも係留した船上で営業していたことがわかっています。西大手橋西南詰の「かき金」と東大手橋東南詰の「かき八」がそれで、『兵庫縣下普通電話番號簿』(昭和4年)によればいずれも電話の名義は「向井金助」でした。「かき金」は、名前の「金助」が店名の由来であったと考えられます。市民からの聞き取りを多く掲載する『ネオ・フォークロア入門』は、両店を兄弟が経営していたとする旧城下住民の回想を紹介しています。
その後、太平洋戦争中に営業を止めたとされており、戦後復活することはありませんでした。2017年(平成29)現在、このかき船をルーツとする牡蠣料理店が尼崎市内で営業しています。
- 回答プロセス
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1 尼崎のかき船に関する参考文献
◆庄下川のこと
『ネオ・フォークロア入門』p82
◆かき舟の灯り--西大手橋(尼崎探訪家・井上眞理子のとことこ見聞録 第19歩)
『市報あまがさき』平成20年4月号
◆かき船が写る写真「かき船」「西大手橋夜景」2点を掲載
『ふるさと「尼崎」のあゆみ:写真が語るあまがさき』p96
◆地図上にかき船の位置を表示
『城内商店街家並復元図』
◆牡蠣料理店として「かき金」「かき八」の2店を掲載
『兵庫縣下普通電話番號簿. 昭和4年11月20日現在』p164
2 大阪のかき船に関する参考文献
◆三浦行雄「牡蠣舟」
『大阪春秋』第72号p112
◆飯田耕二郎「大阪の牡蠣船(江戸時代なにわ商人の才覚 第8回)」
『大阪春秋』第167号p94
◆「大阪のカキ船」
『大阪府漁業史』p980 第7編 特論13
◆「道頓堀川と名物カキ船」写真1点を掲載
『目で見る大阪市の100年』p71
- 事前調査事項
- NDC
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- 内陸水運.運河交通 (684)
- 水産増殖.養殖業 (666)
- 参考資料
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- あまがさき未来協会/編. ネオ・フォークロア入門. 神戸新聞総合出版センター, 1996.8 (当館請求記号 201/A/ア)
- 市報あまがさき. No.1500(平成20年4月号) 尼崎市, 2008.4 (逐次刊行物)
- 本庁地域写真集刊行実行委員会編集委員会/編集. ふるさと「尼崎」のあゆみ. 本庁地域写真集刊行実行委員会, 1994.11 (当館請求記号 219/A/ホ)
- 【地図資料】稲垣恵一‖調査・作成. 城内商店街家並復元図. (当館請求記号 D-12)
- 兵庫縣下普通電話番號簿. 昭和4年11月20日現在. 大阪遞信局, 1930.2 (当館請求記号 694.6/A/オ)
- 大阪春秋. 第72号 大阪春秋社, 1993.10 (逐次刊行物)
- 大阪府漁業史編さん協議会/編集, 大阪府漁業史. 大阪府漁業史編さん協議会, 1997.3 (当館請求記号 662.1/6.4/オ)
- 『大阪市の100年』刊行会/編. 目で見る大阪市の100年. 下巻. 郷土出版社, 1998.10 (当館請求記号 219/6.4S/オ-2)
- キーワード
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- かき船
- 牡蠣料理店
- 庄下川
- かき金
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 団体
- 登録番号
- 1000214790