レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年12月09日
- 登録日時
- 2019/03/22 16:02
- 更新日時
- 2019/03/22 16:27
- 管理番号
- 横浜市中央2548
- 質問
-
解決
江戸時代の「御菜(おさい)八ヶ浦」とは、どこを指したか知りたい。
- 回答
-
御菜浦とは、「江戸時代前期、魚を将軍家の台所に納めることによって特別権益をあたえられていた浦方」の事です。
(『日本歴史大辞典 第2巻 え-かそ』 日本歴史大辞典編集委員会/編 河出書房新社
1985.2 p370)
御菜八ヶ浦とは、芝金杉浦、本芝浦、品川浦、大井御林浦、羽田浦、生麦浦、新宿浦、
神奈川浦を指しました。下記の資料に記述があります。
なお、「新宿」は横浜市神奈川区にあった地名です。
1 『国史大辞典 第2巻 う~お』 国史大辞典編集委員会/編 吉川弘文館 1980.7
p.816「おさいうら 御菜浦」
「江戸近郷の事例をみると、芝金杉浦・本芝浦(以上東京都港区)、品川浦・大井御林浦
(以上品川区)、羽田浦(大田区)、生麦浦・新宿浦・神奈川浦(以上神奈川県横浜市)
の八ヵ浦が御菜八ヵ浦と呼ばれ、幕府に鮮魚を上納する代償として江戸内湾漁業に特権を
もっていた。」
2 『日本歴史大辞典 第2巻 え-かそ』 日本歴史大辞典編集委員会/編
河出書房新社 1985.2
p.370「おさいうら 御菜浦」
「東京湾内では金杉・本芝・品川・御林・羽田・生麦・子安・神奈川の八浦。」
3 『日本国語大辞典 第2巻(いろさ-おもは)』
日本国語大辞典第二版編集委員会/編 小学館 2001.02
p.1105「おさい-うら【御菜浦】」
「江戸の例では佃島のほか御菜八か浦(金杉浦、本芝浦、品川猟師町、大井御林町、
羽田猟師町、生麦浦、新宿浦、神奈川猟師町)があった。」
4 『東京内湾漁業史料』 原暉三/〔編著〕 横浜市水産会 1940.3
p.104「御菜浦々元に関する書上」(元治元年に芝金杉浦・元芝浦が代官所に出した文書)
「右両浦之儀者御菜八ヶ浦之元浦に而
(中略)
此頃より品川浦之儀も最寄之儀に付同様に最合相納候由
(中略)
大井村の内御林と唱候海岸場所にて代地被下置同所に引移猟業仕候に付
此所を御林猟師町と唱最古場之猟師共移住仕候訳故前書三ヶ浦に組合
御菜四ヶ浦にて毎月割合相納候
(中略)
其後羽田浦生麦浦神奈川浦新宿浦等追々に組合八ヶ浦と唱来候
(下略)」
この文書は次の資料にも引用されています。
『品川町史 中巻』 品川町/編 品川町 1932 p285
『東亰市史稿 産業篇 第14』 東京都/編纂 臨川書店 2001.01 p300
『大森漁業史』 大森漁業史刊行会/編 大森漁業協同組合,富士信用組合,富士ユニ
1973 p38
5『横浜市史稿 地理編』 横浜市役所/著 横浜市役所 1932.12
p.471「第三章 第二節 海浦 一 御菜浦」
「御菜浦とは、徳川時代に江戸城本丸へ、御膳用の魚類を納める役を命ぜられた曲浦の謂
で、横浜附近では一般に之を七箇浦と称したが、敢て七箇浦と数に限定されたのでは無く、
数箇所あつたのである。但し七箇浦と云へば生麦・子安・神奈川・野毛・本牧・根岸・森
を指すが、神奈川方面では新宿もある事であるから八箇所と為るわけである。
(中略)
天正十八年、徳川氏の関東に入国するや、江戸湾沿岸の金杉浦・本芝浦・南品川猟師町・
大井村猟師町・羽田猟師町・生麦浦・新宿浦・神奈川猟師町等の浦々に対して、御菜猟の
初穂献上を命じたのが、御菜浦の濫觴であつて、之が永く継続して幕末に及んだものであ
る。」
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 水産業および漁業史.事情 (662 8版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000253545