江戸-明治期ごろの日光杉並木周辺の状況について、次の資料から記述が確認を確認しました。
■絵図
・『日光道中分間延絵図 第5巻 絵図編・解説篇』(児玉幸多/監修、千田孝明/解説 東京美術 1988)
収録範囲:上・中・下徳次郎 大沢 今市 鉢石
・『日光道中壬生通分間延絵図 第2巻 絵図編・解説篇』(児玉幸多/監修、日向野徳久/解説 東京美術 1990)
収録範囲:鹿沼・文挟・板橋
・『今市ヨリ大田原通会津道見取絵図 第1巻 絵図編・解説篇』(児玉幸多/監修、手塚良徳/解説 東京美術 1998)
収録範囲:大渡 大桑村 船生 籠岩 玉生
文化3年(1806)江戸幕府・道中奉公所によって作成された街道実測絵図『五街道分間延絵図』の複製資料です。(原本の絵図の名称は『五海道其外分間見取延絵図』)
杉並木と周辺の様子について、上記の絵図で確認しました。
それぞれ別冊の解説編があり、街道沿いの地誌について、絵図と対称となる形式で詳細に記述されています。
関連する写真、絵図等も併せて紹介されています。
・『日光杉並木街道』(日光東照宮/編 日光東照宮 1978)
p.12-13「日光道中図絵」に今市宿附近の杉並木道の絵図が掲載されています。
「日光道中図絵」は東照宮宝物館が所有する絵図で、江戸から日光山までの道中の景観を9帖に分けて描いています。資料によっては絵図の名称を「日光山道中図絵」(『日光東照宮の宝物』(日光東照宮社務所/編 日光東照宮社務所 1985)p.46)、「日光道中絵図」(『東照宮宝物誌』(別格官幣社東照宮社務所/編 別格官幣社東照宮社務所 1927)p.190)としています。
国立公文書館(東京本館)では、上記絵図の写本(7帖)を「日光道中絵図」として所蔵しています。
一部はデジタルアーカイブでインターネット公開されており、大澤宿付近の杉並木道を確認できました。
『国立公文書館デジタルアーカイブ』
https://www.digital.archives.go.jp/「日光道中絵図巻7 下戸祭村より大澤宿まで」
http://www.digital.archives.go.jp/das/meta/M2010021219150146926(最終アクセス:平成29年1月20日)
また、大澤宿から神橋までの絵図は東京本館で閲覧できます。
詳しくは国立公文書館のホームページをご覧ください。
「日光道中絵図巻8 大澤宿から神橋まで」(書誌事項のみ)
http://www.digital.archives.go.jp/das/meta/M2010021219152846927『国立公文書館』
http://www.archives.go.jp/ ・『古文書で見るいまいち市史 第2集 絵図編』(今市市史編さん委員会/編 今市市歴史民俗資料館 1991)
今市市の近世絵図を複数収録しています。村絵図等に杉並木を見ることができます。
★年代補足する。
・鈴木丙馬/著「日光並木杉の根張りに関する研究(第1報)」(『宇都宮大学農学部学術報告 3巻1号-3号』(宇都宮大学農学部/編集、発行1955 p.84-97所収))
「第3図 日光並木街道の道路横断面図」が掲載されており、杉並木の外側を走る歩道や用水路の幅等が書かれています。
また、「第4図 日光並木杉の根張りの状態」の写真の中に、杉並木の外側を撮影したものがあります。
★年代補足する。
・鈴木丙馬/著「日光並木杉の根張りに関する研究(第2報)」(『宇都宮大学農学部学術報告 3巻1号-3号』(宇都宮大学農学部/編集、発行 1955 p.165-206所収))
「第5図 日光並木街道の保存対策計劃図,(A案)」が掲載されており、杉並木の周辺についても書かれています。
※こちらの図には(案)とあり、計画が実行されたか否は未確認です。
同様の図が、『日光杉並木街道保存上の問題点』(鈴木丙馬/著 日本林業技術協会 フメイ)にも掲載されています。
・地図・航空写真閲覧サービス(国土地理院)
http://mapps.gsi.go.jp 国土地理院が保有する過去から現在までの地図や空中写真を検索・閲覧することができます。
「2.5万地形図 今市」(測量年1912(明45)年)
http://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=1310809&isDetail=false(最終アクセス日 2017年1月21日)
明治45年の日光杉並木街道付近の地形図を見ることが出来ます。(不鮮明)
■論文等
・鈴木丙馬/著「日光杉並木小史(抄)」(『下野史談 第29号』(田代博/編 下野史談会 1975 p.6-22所収))
p.14「明治六年(一八七三)ごろに行われた地租改正の実施で(中略)その外方はすべて民地地番として登録されたので、次第に田、畑、宅地と開墾されるところも多くなり、道路の改修工事も次々に行われ」たとあります。
・本間暁/著「日光杉並木の文化財指定と保護管理について」(『大日光 78』(日光東照宮/編 日光東照宮 2008p.84-91所収))
p.85「明治三八(一九〇五)年に並木スギのみが東照宮に縁故下げ戻しされ、並木敷地の国有地化と周辺地域の民有地化が確定した。江戸期には並木後背地には工作物が何もない状態でのびのびと生育できる環境であった。しかし、並木敷は国有地であるものの、その周辺は民有地となり、並木周辺には農地、宅地、水路等が造られていった。」とあります。
・『日光杉並木街道の現状と問題 その破壊と衰亡』(日光東照宮林務部/編 日光東照宮 1971)
付録「並木街道の衰亡とその原因」(林学博士 鈴木内馬/著)p.72「徒歩や馬、あるいは籠で歩いた時代の約200年の並木街道は並木杉にとっても住みよい環境であったろう。そしてまた並木敷外側の歩道も人馬の交通は少なく、根の踏み固めもそれほど苦にならなかったことだろう」とあります。
・『いまいち市史 通史編 5』(今市市史編さん委員会/編 今市市 2005)
p.160-169「三 杉並木保護の動き」に、明治時代に日光を訪れた外国人旅行者が見た杉並木街道と沿道の様子に関する記述があります。
■その他、お調べした資料
・『日光写真集』(著者不明/著 出版者不明 <フメイ>)
・『大日光 64』(日光東照宮/編 日光東照宮 1992)
・『大日光 71』(日光東照宮/編 日光東照宮 2001)
・『大日光 72』(日光東照宮/編 日光東照宮 2002)
・『大日光 73』(日光東照宮/編 日光東照宮 2003)
・『大日光 74』(日光東照宮/編 日光東照宮 2004)
・『大日光 77』(日光東照宮/編 日光東照宮 2007)
・『明治日本旅行案内 東京近郊編』(アーネスト・サトウ/編著,庄田元男/訳 平凡社 2008)
・『完訳日本奥地紀行 1』(イザベラ・バード/〔著〕,金坂清則/訳注 平凡社 2012)
・『日光杉並木300年の記録』(鈴木丙馬/著 農林出版 1964)
・『目で見る日光・今市・鹿沼の100年』(沼尾正彦/〔ほか〕編集 郷土出版社 1995)
・『日光・鹿沼今昔写真帖 保存版』(小野崎敏/〔ほか〕編 郷土出版社 2009)
・『大日光 1~10号』(日光東照宮/編 日光東照宮 1952)
・『日光杉並木』(下野新聞社/編集 下野新聞社 1994)
・『特別史跡・特別天然記念物日光杉並木街道保存管理計画』(栃木県教育委員会/編 栃木県教育委員会 1983)
・『わたしたちの日光杉並木街道 すばらしい日光杉並木街道にするために』(栃木県教育委員会/編 栃木県教育委員会 1993)
・『日光杉並木街道の物語』(長倉肇/著 日光杉並木街道保存委員会 1970)
・『日光附近の地誌』(山口貞雄/著 古今書院 1934)
・『下野史談 第13巻第1号~第6号』(田代黒瀧/編 下野史談会 1936)
・『絵葉書にみる郷愁の日光 石井敏夫絵葉書コレクションより』(随想舎/編 随想舎 1995)
p.12-13 杉並木 並木の内側の写真のみ
・『知られざる日光』(読売新聞社宇都宮支局/編 随想舎 1994)
・『日光市史 中巻(近世)』(日光市史編さん委員会/編 日光市 1979)