レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020/12/07
- 登録日時
- 2020/12/29 00:30
- 更新日時
- 2020/12/29 00:30
- 管理番号
- 6001046673
- 質問
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解決
大阪の「住田真十郎」名の刻印のある瓦について記述のある文献はあるか。また、その人物について分かることはあるか。
- 回答
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「住田真十郎名の刻印がある瓦」について記載がある資料は次のとおり。
■『近世瓦の研究』(山崎信二/著 同成社 2008.11)
「第4章 近世鹿児島の瓦」(p.57-71)の「7 近世VIII[ローマ数字の8]期(1765~1800)の瓦」の項(p.69-71)に次の記述がある。
「大龍遺跡B地点出土の軒桟瓦は近世IX[ローマ数字の9]期(1800年以降)のものであるが、瓦当隅を三角形に切り落とす大坂式の軒桟瓦であり、かつ住田真十郎の刻印が残されている(第18図2)。これと同じ刻印は大阪市文化財協会による『住友銅吹所跡発掘調査報告』のC16a刻印にある(p.594)。大龍遺跡例は大坂から運ばれた瓦である。」(p.71)
引用文中の「第18図2」は、p.70に掲載されている。
■『大阪市中央区住友銅吹所跡発掘調査報告 本文 住友銀行鰻谷新システムセンター建設に伴う発掘調査報告書』(大阪市文化財協会/編集 大阪市文化財協会 1998.3)
「住友銅吹所跡出土の窯業関係文字資料」の「1) 瓦における刻印」(p.591-596)に、住田真十郎名の刻印のある瓦の拓本(「C16a」「C16b」)が掲載されている。なお、本文編とセットになっている『大阪市中央区住友銅吹所跡発掘調査報告 図面・図版』(大阪市文化財協会 1998.3)の「図版111」には、同じ瓦がより明瞭な写真で掲載されている。
住田真十郎名の刻印のある瓦は、「C16a」「C16b」との記号が付されているが、これら「C」類として分類された瓦は、産地が「泉南地域以外および生産地が不明なもの」であるとのこと(本文編 p.592)。
また、本文編の「付表2 瓦一覧表(8)」には、刻印瓦C16a、C16bの出土遺構や地区、時期等の記載がある。
次に、大阪の「住田真十郎」という名の、瓦を扱っていた商工業者については、明治期の資料に名前が見つかった。
■『明治初期大阪の同業組合規則 下 坂府商業組合条例(大阪市史史料)』(大阪市史料調査会 1999.2)
p.68に「明治7年5月17日」の日付のある「乙48号 瓦職商組合申合規則」が掲載されており、末尾の署名に「南大組第四区瓦屋町壱番丁 瓦職組合惣代 住田真十郎」との記載がある。
■『大阪経済史料集成 第9巻 大阪商工業組合規約集 下』(大阪経済史料集成刊行委員会/編 大阪商工会議所 1976)
p.205-216に「瓦商仲間規約」が収録されており、末尾の署名に「南区瓦屋町参番丁第五拾四番地 住田真十郎」の記載がある(p.213)。
なお、この規約文書には「明治17年12月付」の「大阪商法会議所修正意見書」等の文書が付せられているとのこと。
明治期の「住田真十郎」の住所として記載のある「瓦屋町」については、次の資料に記載がある。
■『大阪の町名 大坂三郷から東西南北四区へ』(大阪町名研究会/編 清文堂出版 1977.9)
p.351-352に「瓦屋町一~五番丁」の記載があり、「徳川家の御用瓦師寺島宗左衛門が大坂落城後この地を与えられ、以後代々瓦を製造し瓦師支配をなしたことで瓦屋町の町名がついた」とある(p.351)。
※住田真十郎についての記載はない。
[事例作成日:2020年12月7日]
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- セラミックス.窯業.珪酸塩化学工業 (573 10版)
- 参考資料
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- 近世瓦の研究 山崎/信二∥著 同成社 2008.11 (69-71、594)
- 大阪市中央区住友銅吹所跡発掘調査報告 本文 大阪市文化財協会∥編集 大阪市文化財協会 1998.3 (592)
- 大阪市中央区住友銅吹所跡発掘調査報告 図面・図版 大阪市文化財協会∥編集 大阪市文化財協会 1998.3
- 明治初期大阪の同業組合規則 下 大阪市史料調査会 1999.2 (68)
- 大阪経済史料集成 第9巻 大阪経済史料集成刊行委員会∥編 大阪商工会議所 1976 (213)
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 大阪,人物・団体
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000291783