レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022/09/01
- 登録日時
- 2022/10/21 00:30
- 更新日時
- 2022/10/21 00:30
- 提供館
- 宮城県図書館 (2110032)
- 管理番号
- MYG-REF-220046
- 質問
-
解決
四ツ谷用水など,仙台市内の用水路が図示されている地図が掲載されている資料を紹介してほしい。
- 回答
-
下記資料に掲載がありました。
※【 】内は当館請求記号です。
1 古絵図類について
古地図・絵図資料として所蔵があるものは,仙台城下の絵図になります。
資料1 『御城下町割繪圖』写本(彩色), 天保4(1833), 味明村(黒川郡), 雫石太右衞門, 72×110cm, 1舖【KM292/コ1】
(「宮城県図書館所蔵絵図・地図解説目録」84)
こちらの資料の解説に,「縮尺は1丁を6分とするとある。幕末期の城下の町名が殆ど記入されている。他に社寺,大身の武士の屋敷,茶屋の位置までも分かる。」とあります。城下絵図の中では比較的明瞭な資料です。また,用水が青線で描かれています。
また,下記の資料は仙台城下絵図を参照して,四ツ谷堰の流路を説明しています。
資料2 仙台市史編さん委員会編『仙台市史』通史編4 : 近世2, 仙台市, 2003【K225/セ1-13/4】
pp.165-168 「第三章 仙台城下の景観と構造」-「第一節 城下町の景観」-「四ツ谷堰」の項
「四ツ谷堰が史料に現れるのは,一六六四年(寛文四)の『仙台城下絵図』からである。(中略)一六九一,二年(元禄四,五)の『仙台城下五釐卦絵図』では,(中略)元禄期には城下を網の目のように流れる四ツ谷堰の整備はほぼ完成していたと考えられる。(後略)」
なお,この説明で登場する『仙台城下絵図(寛文4)』及び『仙台城下五釐卦絵図』は,下記の資料でも収録されています。
資料3 高倉淳[ほか]編著『絵図・地図で見る仙台』今野印刷, 1994【K225/1994.1/タ】
2 古絵図以外の仙台市内の用水に関する説明や図について
資料4 仙台市博物館編『市史せんだい』Vol.9, 仙台市博物館, 1999【K225/セ14-3/9】
pp.33-56 「特集2 孫兵衛堀と四ツ谷用水」の項
pp.34-45 高倉淳「孫兵衛堀 : 町方防火用水確保と村方灌漑用水権の争い」
pp.46-56 佐藤昭典「もう一つの広瀬川 : 四ツ谷用水」
資料5 仙台市史編さん委員会編『仙台市史』通史編3 : 近世1, 仙台市, 2001【K225/セ1-13/3】
pp.245-252 「第五章 村落の成立」-「第一節 村の確定と新田開発」-「三 灌漑用水」の項
近世の用水について記述されています。仙台市域の灌漑の多くは,七北田川・広瀬川・名取川の三本の河川から引かれる用水に依存しており,この資料は七北川流域の堰,仙台市東部の用水堀,仙台市南部の用水堀などについて解説しています。
資料6 高倉淳著『仙台領の潜り穴』今野印刷, 2002【K614/2002.7】
pp.108-122 「五 七北田川水系 : 根白石周辺の潜穴群」の項
p.109 「根白石周辺の潜穴群」の図が掲載されています。
pp.123-138 「六 広瀬川水系」の項
p.123「定義潜穴」,p.130「岩谷堂潜穴,川崎潜穴,熊ヶ根伏越,苦地潜穴図」,p.132「芋沢潜穴群」,p.134「放山新潜穴図」「四ツ谷堰」等の図が掲載されています。
資料7 仙台市博物館編『市史せんだい』Vol.14, 仙台市博物館, 2004【K225/セ14-3/14】
pp.29-48 加藤徹「仙台市域における水利の現状」
この論文は,近現代の仙台市域の水利が土地開発事業などによってどのように改善されてきたかを,「一,旧仙台市地域の水利」「二,旧泉市地域の水利」「三,旧宮城町地域の水利」「四,旧秋保町地域の水利」の項目に分けてまとめています。
なお,p.31「表1 仙台市内における主な水利(用水)施設一覧」,p.32「図1 仙台市域における主な水利施設位置」も掲載されています。
資料8 佐藤昭典著『利水・水運の都仙台』大崎八幡宮, 2007【K517/2007.X】
pp.15-42 「3.四ツ谷用水の開削 : 町なかに『もう一つの広瀬川』」の項
仙台藩直轄の城下専用用水である四ツ谷用水についてまとめられています。論文には,城下絵図に見る四ツ谷用水,開削された年代等が記述されています。また,p.22に,元禄5年(1692),享保9年(1724),天保15年(1844)の絵地図を総合して作成された,「藩政期の四ツ谷用水」の図が掲載されています。
その他,四ツ谷用水に関する資料として下記があります。
資料9 新関昌利著『四ッ谷堰の基礎的研究』仙台市立広瀬小学校, 1996【K517/1996.0】
資料10 大和田雅人著『四ツ谷用水光と影』河北新報出版センター, 2018【K517/2018.Y】
3 四ツ谷用水の地図等の掲載,または関連する記述があった資料は下記のとおりです。
資料11 佐藤昭典著『もう一つの広瀬川』佐藤昭典, 1999【K517/サ1-5】
資料4でご案内した,pp.46-56「もう一つの広瀬川 : 四ツ谷用水」とタイトルは同一ですが,内容は異なります。
pp.16-17 「図2 延宝6~8年(1678~1680年)」
p.18(説明) 「この絵図では四ツ谷堰の本流は完全に認められる。同時に,二十人町南裏を東し天神前を通って宮城原に注ぐ堀も現われている。(阿刀田令造)」
その他,様々な時代における四ツ谷用水の地図が掲載されています。
資料12 阿刀田令造「仙台城下絵図の研究」『斎藤報恩会博物館図書部研究報告』第4, 1936【PK050/サ】
こちらの資料の附図第15「仙台城下絵図(寛文八・九年製作)」・第16「仙臺城下大絵図(延宝六年同八年間製作)」・第17「安政補正改革仙府絵図(安政三年同六年間製作)」に四ツ谷用水が記載されています(不鮮明なものもあります)。附図第16は,上記でご案内した資料11「図2 延宝6~8年(1678~1680年)」の原図となったものです。
資料13 佐藤昭典編著『四ツ谷用水』佐藤昭典, 2009【K517/2009.3】
p.35「仙台城下絵図より 天明6年~寛政元年(1787~1789)」
へくり沢・八幡池・小石沢・四ツ谷用水などを含む一部分が掲載されています。その他,仙台の水文化について様々な観点から論じた文章が記載されています。
資料14 佐藤昭典編著『その復活を唱えし足あと』佐藤昭典, [2010]【K517/2010.X】
1985年~2009年に新聞等に掲載された,四ツ谷用水関連の記事五十数件を収録した資料となっています。古地図等の掲載はありません。
資料15 佐藤昭典著『再発見「四ツ谷用水」物語』佐藤昭典, 2012【K517/2012.1】
四ツ谷用水完成までのプロセス,明治期以降の四ツ谷用水の役割などに触れた内容となっています。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 河海工学.河川工学 (517 9版)
- 参考資料
-
- 仙台市史編さん委員会/編. 仙台市史 通史編4. 仙台市, 2003.2【K225/セ1-13/4】:
- 高倉 淳[ほか]/編著. 絵図・地図で見る仙台. 今野印刷, 1994.1【K225/1994.1/タ】:
- 仙台市博物館/編. 市史せんだい Vol.9. 仙台市博物館, 1999.7【K225/セ14-3/9】:
- 仙台市史編さん委員会/編. 仙台市史 通史編3. 仙台市, 2001.9【K225/セ1-13/3】:
- 高倉 淳/著. 仙台領の潜り穴. 今野印刷, 2002.7【K614/2002.7】:
- 仙台市博物館/編. 市史せんだい Vol.14. 仙台市博物館, 2004.7【K225/セ14-3/14】:
- 佐藤昭典/著. 利水・水運の都仙台. 大崎八幡宮, 2007.10【K517/2007.X】:
- 新関昌利/著. 四ッ谷堰の基礎的研究. 仙台市立広瀬小学校, 1996.3跋【K517/1996.0】:
- 大和田/雅人?著. 四ツ谷用水光と影. 河北新報出版センター, 2018.11【K517/2018.Y】:
- 佐藤昭典/著. もう一つの広瀬川. 佐藤昭典, 1999.9【K517/サ1-5】:
- 斎藤報恩会. 斎藤報恩会博物館図書部研究報告 1(昭9.12)-6(昭17.11). 斎藤報恩会, 【PK050/サ】:
- 佐藤昭典/編著. 四ツ谷用水. 佐藤昭典, 2009.3【K517/2009.3】:
- 佐藤昭典/編著. その復活を唱えし足あと. 佐藤昭典, [2010.10]【K517/2010.X】:
- 佐藤昭典/著. 再発見「四ツ谷用水」物語. 佐藤昭典, 2012.1【K517/2012.1】:
- キーワード
-
- 用水路
- 水路 -- 宮城県
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000322844