レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20130503
- 登録日時
- 2014/02/25 00:30
- 更新日時
- 2020/04/17 15:49
- 管理番号
- 中央-2013-10
- 質問
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未解決
明治時代にいまの東京都大田区池上にあった池上鉱泉と、そこにあった鉱泉宿である「あけぼの楼」に関する資料を探している。特に写真があれば教えてほしい。「あけぼの楼」には、当時文化人が多く宿泊したという。
- 回答
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大田区の歴史や明治時代の温泉に関する資料などを調査したところ、以下の資料が見つかった(資料によって「あけぼの楼」「明保乃楼」「曙楼」という複数の表記があった)。
資料1のp.66-67には「あけぼの楼」の項目があり、簡単な説明と、4枚の写真が掲載されている。
資料2のp.1100には「明保乃楼の梅林」という項目があり、明治の初めごろ池上本門寺裏に温泉が出て旅館等もたくさんできたが、やがて廃れ、明保乃楼も以前はそこにあったものが堤方町九百九十七番地に移転した旨の記述がある。
資料3のp.6には「曙楼」の項目があり、簡単な説明がある。p.27には「池上曙楼」の写真がある。
資料4のp.19には「曙楼」の項目があり、6行の説明文がある。また、p.16とp.17の間の頁付のないページに、「池上曙楼入口」と「同上梅園」の写真(青刷り)が掲載されている。
資料5のp.2には「明保乃楼」の項目があり、「昭和10年代半ばまでで廃業した」との記述がある。
資料6のp.117-118には、昭和20年に大森めぐみ教会が曙楼の跡地に移転した際に残っていた建物の様子が記述されている。
資料7の第4章「日清・日露のなかで」には「玉泉館のこと」という項目があり、「池上本門寺前の丹波屋こと玉泉館」についての記述がある(p.248)。料理とともに庭園を売りものにし、「庭内松竹梅の構造の外に磯部温泉あり」と広告したという。
また、国立国会図書館の「デジタルコレクション」で公開されている資料『三府及近郊名所名物案内』(日本名所案内社 1919年刊)のp.76-77(コマ番号51)には、「関東名代の大梅園曙楼」という項目がある。
(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/906086/51 )(最終確認日:2020.4.17)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 地震学 (453 9版)
- 観光事業 (689 9版)
- 参考資料
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- 【資料1】写真でみる郷土のうつりかわり 風景編 / 大田区教育委員会/編 / 大田区教育委員会 , 1983 ( 大田区の文化財 第19集 ) </0970/O872/O1-19>
- 【資料2】大森区史 / 大森区/編 / 大森区 , 1939 </0923/O663/O>
- 【資料3】東京南郊荏原名勝史蹟 / 新実業社 , 1919 <T/ 51・20/3012/>
- 【資料4】東京近郊名所図会 第10巻 / 山下重民/[編] / 明治文献 , 1976.2 ( 大日本名所図会 第85編 ) <T/0・200/3439/10>
- 【資料5】大森蒲田ことがら事典 / 城南タイムス編集室 , 1999あとがき <RT/52・20/3026/>
- 【資料6】大森めぐみ教会五十年史 / 岩村信二/著 / 日本キリスト教団大森めぐみ協会 , 1977.12 <T/52・19/3001/>
- 【資料7】大田区史 下巻 / 大田区史編さん委員会/編 / 大田区 , 1996.3 <T/52・20/1/1-3>
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000149756