レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018年05月20日
- 登録日時
- 2019/03/14 16:28
- 更新日時
- 2020/05/09 15:02
- 管理番号
- 広県図2018107
- 質問
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解決
大正15年8月1日に陸軍省の広島湾要塞司令部が廃止され,海軍省の呉要塞区域が設定されたことに関する資料が知りたい。
- 回答
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朝日新聞記事データベース「聞蔵Ⅱ」でキーワード「広島湾」及び「要塞司令部」で検索したところ,次の記事が見付かりました。
『東京朝日新聞』大正15(1926)年8月4日2面 「日本海と瀬戸内海の防備施設に大革新 砲の発達に伴ひ新設された豊予、壱岐の両要塞」
「従来の芸予、広島湾の二要塞を廃して豊予要塞を新設さるゝに至つたもので(略)」との記述があります。要塞区域に関する記述はありません。
『呉市史 第7巻』呉市史編纂委員会/編集,呉市役所,1993【H21.31/Ku59/7ア】
p.1161-1163 焼山~呉道路
p.1161「呉から神山峠をへて焼山・本庄村を経由して海田市にいたる道路は、(略)」
『広島県矢野町史 下巻』矢野町町史編纂委員会/編,矢野町,1961【H21.33/Y58/2ア】
p.112 矢野村本支里程取調表
「★海田市から矢野を通つて焼山に通ずる主要幹線道路は県国道三等併用線であつた。」
『広島国道のあゆみ』中国地方建設局広島国道工事事務所/[編],1988【H513/ケンセ88】
p.388-406 一般国道31号
p.388「明治18年、太政官布達により国道44路線が告示され、さらに20年、東京から各鎮守府に達する路線を国道に編入する路線基準が定められた。(略)この時、海田市から矢野、焼山を経て呉に至るルートが国道第46号路線として指定された。この和庄町(旧)から荘山田村(旧)を経て(略)本庄村、焼山村、海田市へ通ずる国道改修は、いわゆる焼山道路として大正2年から3年にかけて完成したが、(略)」
道路がどの辺りに通っていたかの概要は,次の地形図で確認することができます。
『1/5万 図歴地形図 52-5 海田市』大阪人文社(製作),1994【H45/Ko452-5/52-5】
『1/5万 図歴地形図 52-6 呉』大阪人文社(製作),1994【H45/Ko452-5/52-6】
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 国防史.事情.軍事史.事情 (392 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 陸軍省
- 広島湾要塞司令部
- 海軍省
- 呉要塞区域
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000253018