レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年09月09日
- 登録日時
- 2017/09/13 00:30
- 更新日時
- 2017/12/05 00:30
- 管理番号
- 2D17004484
- 質問
-
解決
大阪出身の海軍大将 「こんどう のぶたけ」について、どこに埋葬されたか、経歴などがわかる資料が見たい。
- 回答
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「近藤 信竹(こんどう のぶたけ)」について、埋葬地のわかる資料はあいにく見つかりませんでした。
経歴や葬儀の場所のわかる資料について、以下にご紹介いたします。
商用データベース「日外e-レファレンス・ライブラリー」(人物レファレンス事典 日本) (2017.09.11確認)
【近藤信竹 こんどうのぶたけ】の項に以下の記述があります。
「明治19(1886)年9月25日~昭和28(1953)年2月19日 大正・昭和期の海軍軍人。海軍大将。日中戦争期の作戦系統の中枢にいて重要国策の決定に加わる。」
『日本海軍将官辞典』(福川 秀樹/編著 芙蓉書房出版, 2000.12)
p.168に「近藤 信竹(大阪)」の項があり、生没年や略歴が掲載されています。
『日本陸海軍人名辞典』( 福川 秀樹/編著 芙蓉書房出版, 1999.12)
p.212に「近藤 信竹(大阪)」の項があり、略歴が掲載されています。
『太平洋戦争と十人の提督』(奥宮正武/著 朝日ソノラマ, 1993.7)
p.533-563に「十人の提督」として「3. 近藤信竹大将-もう一人の緒戦大勝の立役者-」の章があり、冒頭に略歴が掲載されています。p.563に「近藤大将は、大阪府の出身で」と記載されています。
死去については以下の新聞記事に掲載されていますが、いずれも埋葬地についての記述はありません。
・「近藤信竹氏 死去」(『朝日新聞』1953年2月20日 東京/夕刊 )3頁
亡くなった日(1953年2月19日)のほか、葬儀の場所について「東京都世田谷区太子堂」の「円泉寺」と掲載されています。
記事は商用データベース「聞蔵Ⅱビジュアル」でも閲覧できます。
・「死去:近藤信竹氏」(毎日新聞 1953年2月20日 東京夕刊) 3頁
亡くなった日(1953年2月19日)のほか、告別式の場所について「東京都世田谷区太子堂」の「円泉寺」と掲載されています。
記事は商用データベース「毎索」でも閲覧できます。
・「近藤信竹氏死去」(『読売新聞』1953年2月20日 夕刊)社会 3
亡くなった日(1953年2月19日)のほか、告別式の場所について「世田谷区太子堂円泉寺」と掲載されています。
記事は商用データベース「ヨミダス歴史館」でも閲覧できます。
- 回答プロセス
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1.商用データベース「日外e-レファレンス・ライブラリー」(資料1) (人物レファレンス事典 日本)を“近藤信竹”で検索。
2. 商用データベース「日外e-レファレンス・ライブラリー」 (伝記・評伝情報)を“近藤信竹”で検索し、資料2が見つかる。
3.当館所蔵の海軍の軍人に関する人名事典を確認し、資料3、4が見つかる。
4.商用データベース「聞蔵IIビジュアル」(資料5)で“近藤信竹”を検索してヒットした記事を確認。
5.商用データベース「毎索」(資料6)で“近藤信竹”を検索してヒットした記事を確認。
6.商用データベース「ヨミダス歴史館」(資料7)で“近藤信竹”を検索してヒットした記事を確認。
- 事前調査事項
- NDC
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- 戦争.戦略.戦術 (391 9版)
- 参考資料
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- 当館書誌ID <0000324983> 太平洋戦争と十人の提督(新装版戦記文庫 15) 奥宮 正武/著 朝日ソノラマ 1993.7 9784257172758 (資料2)
- 当館書誌ID <0000781433> 日本陸海軍人名辞典 福川 秀樹/編著 芙蓉書房出版 1999.12 9784829502440 (資料3)
- 当館書誌ID <0000843098> 日本海軍将官辞典 福川 秀樹/編著 芙蓉書房出版 2000.12 9784829502723 (資料4)
- 商用データベース「日外e-レファレンス・ライブラリー」(人物レファレンス事典 日本)(伝記・評伝情報) (2017.10.31確認)(資料1)
- 商用データベース「聞蔵Ⅱビジュアル」 (2017.10.31確認)(資料5)
- 商用データベース「毎索」 (2017.10.31確認)(資料6)
- 商用データベース「ヨミダス歴史館」 (2017.10.31確認)(資料7)
- キーワード
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- 大阪
- 海軍大将
- 近藤信竹
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000221841