①1996年3月、群馬県桐生工業高校の松本教諭は、定年を前に生徒会誌に教師生活などを振り返った回想文を寄稿した。ところが4月、同校の校長が、回想文の内容が生徒会誌にふさわしくないとして、新入生に配布する280部について、回想文の部分を生徒会の顧問教師に命じて切り取らせた。松本教諭はこの事実を新入生の保護者から知らされ、校長に対してなぜ削除したかについて説明を求めたが、要領を得なかったので、前橋地裁に提訴した。回想文には、松本教諭が学生時代を含めて40年桐生工業高校にお世話になったことと共に、自身が文部省の勤務評定について反対であり、教職員組合での反対活動に参加したことや、安保条約について破棄を通告すれば良いなどについて書かれていた。
同地裁は、校長の行為に何ら違法性はないとして校長の主張を全面的に容認した。松本教諭は、この判決を不服として控訴したが、2002年5月9日、同控訴は棄却された。
以下は切り取られるまでの経緯。
・1996年2月27日 生徒会誌が印刷され、生徒会担当の教諭は夕方生徒会誌を校長に渡した。
・1996年2月28日 生徒会誌を全校生徒に配布した。
・1996年2月29日 校長が回想文を読み、内容がふさわしくないと考え、松本教諭の自宅に電話。翌日話し合いをもつことになった。
・1996年3月 1日 校長と松本教諭が校長室で話し合いをもつが、松本教諭は納得しなかった。
校長は生徒会担当教諭に、回想文に問題があることを指摘し、既に配布済みの生徒会誌を回収できないか尋ねたが、生徒会担当教諭の「かえって混乱を来す」との意見を聞き入れて回収をやめた。
続いて、校長は生徒会担当教諭に新1年には配布しないように求めたが、生徒会担当教諭は配布したいと答えたので、校長は配布するのなら回想文を切り取って配布したらどうかと話した。
・1996年3月12日 生徒会担当教諭は、生徒会担当の教諭が集まる顧問会議で、校長の指示を報告した。他の教諭達からは、校長の指示に賛成する意見は出ず、松本教諭と校長の話し合いの様子を見ようとの結論となった。
・1996年3月13日 職員が全員参加の朝会で、生徒会誌についての話し合いが行われたが、校長は新入生に配布するときは回想文を削除するように職務命令で指示した。
②にも同様の経緯が書かれているが、切り取りの部分についての詳細が掲載されている。
削除の方法は、すでにできあがっていた生徒会誌から当該原稿の印刷部分を切り取り、当該執筆部分ではない裏面印刷部分のみを再度印刷して挟み込むというものである。
③には、判決文と事実及び理由が掲載されている。また,配布までの経緯についての掲載もある。
以下は配布までの経緯。
・1996年4月 生徒会係の担当教諭が交代。顧問会議で本件が2、3回話題になった。
・1996年5月30日 校長と新しく生徒会担当になった2人の教諭が、本件について話し合ったが、校長は本件は決着済みであるとして、回想部分を切り取って配布するよう職務命令として指示した。
・1996年5月31日 生徒会係の教諭らが回想部分の切り取り作業を行った。
・1996年6月 3日 切り取り後の生徒会誌が新1年生に配布された。