レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022年10月16日
- 登録日時
- 2022/10/16 17:05
- 更新日時
- 2022/10/18 09:41
- 管理番号
- 206
- 質問
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大正11年(1922)4月に竣工・開庁した二代目尼崎市庁舎が、大阪亜鉛工業(株)の工場事務所棟を岡山県から移築して設けられた経緯を知りたい。
- 回答
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大正5年(1916)4月1日の尼崎市制施行時、初代尼崎市庁舎は尼崎町南浜にあった尼崎町役場をそのまま転用していました。市制施行後の行政規模の拡大により、この初代市庁舎が手狭となったため、大正11年、尼崎市旧城郭内二の丸(現南城内)に二代目市庁舎が設けられ、同年4月11日に開庁しました。
木造二階建ての二代目尼崎市庁舎は、岡山県所在の大阪亜鉛工業(株)神島工場の事務所棟を買収・移築して設けられました。買収・移築経費約9万2千円のうち、3万円は地主で篤志家の秋岡亀太郎の寄付によりまかなわれました。
あまがさきアーカイブズのボランティアである井上衛(まもる)氏の調査によれば、二代目市庁舎を岡山県から移築した経緯が、鉄道車両製造会社である田中車両(現近畿車輛株式会社)を尼崎市内において創業した田中太介の自伝に記されています。田中は、大正9年に尼崎市大洲村初島のうち松島(現西松島町)に田中車両工場を創設するにあたり、大正8年に閉鎖された大阪亜鉛工業神島工場の建屋を移築転用しています。大阪亜鉛工業は系列会社が肥料製造を行っており、元々の家業が尼崎の肥料商(神田屋)であった田中と接点があったものと、井上氏は推測しています。この、田中車両による大阪亜鉛工業の工場建屋移築にともない、田中から事務所棟が市庁舎として提供されました。田中は尼崎町議会議員や市議会議員の経歴があり、二代目市庁舎移築当時の尼崎市長である櫻井忠剛(ただかた)とも交流があったことがわかっています。
攝津日日新聞社刊『阪神沿線誌』には、田中太介が「尼崎市役所の建物を犧牲的に提供」と記されています。
- 回答プロセス
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1 二代目尼崎市庁舎設置経緯を記す文献
◆島田克彦「尼崎市の誕生」
『図説尼崎の歴史』下巻/Web版図説尼崎の歴史 近代編第3節3
http://www.archives.city.amagasaki.hyogo.jp/chronicles/visual/04kindai/kindai3-3.html
2 尼崎市庁舎移築と田中車両・田中太介の関わりを記す文献
◆田中太介自伝『働く喜び』1961 p69~70
◆『阪神沿線誌』摂津日日新聞社 1927 p165
3 田中太介と初代尼崎市長櫻井忠剛の関わりがわかる文献
◆田中太介私費出版『光栄の萬里荘』1931
田中太介の別荘萬里荘に櫻井忠剛の絵画作品が飾られている写真が掲載されている。
櫻井忠剛は政治家であるとともに、画家川村清雄に師事する洋画家としての経歴も有していた。
- 事前調査事項
- NDC
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- 近畿地方 (216)
- 日本の建築 (521)
- 参考資料
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尼崎市立地域研究史料館編集 , 尼崎市立地域研究史料館. 図説尼崎の歴史 : 尼崎市制九〇周年記念 上巻,下巻. 尼崎市, 2007. (新「尼崎市史」 / 尼崎市立地域研究史料館編集,)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000096-I004857410-00 (当館請求記号 219/A/ア) -
田中太介 著 , 田中, 太介, 1876-. 働く喜び. 田中太介, 1961.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002697589-00 -
阪神沿線誌刊行会 編. 阪神沿線誌. 摂津日日新聞社, 1927.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000770668-00 -
万里荘. 昭和6年光栄之万里荘. 細谷真美館, 1931.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000792242-00
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尼崎市立地域研究史料館編集 , 尼崎市立地域研究史料館. 図説尼崎の歴史 : 尼崎市制九〇周年記念 上巻,下巻. 尼崎市, 2007. (新「尼崎市史」 / 尼崎市立地域研究史料館編集,)
- キーワード
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- 尼崎市庁舎
- 田中車両
- 田中太介
- 大阪亜鉛工業
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000322672