レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年07月09日
- 登録日時
- 2012/07/10 16:58
- 更新日時
- 2017/08/22 12:04
- 管理番号
- 鎌中ーK-20120003
- 質問
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解決
中世の鎌倉の人口はどれくらいか。
- 回答
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中世鎌倉の人口について明記された史料はありません。発掘成果などからの推定があるのみです。
◆『よみがえる中世3 武士の都鎌倉』P59~63
酒壺の数から…武士以外の庶民だけで5万人?
寺院にかかわる推定人口…寺院関係者だけで1万5千人を下らない?
発掘成果から…鎌倉時代末ごろで6万人~10万9千人?うち、武士については、武家屋敷が2900余、一屋敷10人(主人、従者、家族)として29000余人?
◆『都市鎌倉の武士たち』P42~
治承四年12月12日条 大倉御所が完成し、つき従った御家人たちが出した着到条…311人
文治元年10月24日条 頼朝が軍士を集め、明朝出発できるものの交名(リスト)を提出させる…2096人が参集、うちすぐにでも上洛可能なもの58人
P44「ただし、鎌倉在住と言っても、ほとんどの御家人は、自分の本領地を持ち、普通はそこに住んでいたのであって、関東番役とか鎌倉殿他行の際の随兵のような臨時の出仕のときに、その勤務期間中だけ鎌倉に滞在したのであった。」
◆『日本経済の歴史1 中世』P74 表1-4
1252年の段階で64,100~100,900人
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210)
- 参考資料
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『よみがえる中世3 武士の都鎌倉』 平凡社 1989 【K1 210.4】
p59~63 -
『鎌倉市史 総説編』 吉川弘文館 昭和42 p335~ 【K1 210.1】
P335~336 -
『中世都市鎌倉』 河野眞知郎 講談社選書メチエ 1995 【K1 210.2】
p10~11 - 『都市鎌倉の武士(もののふ)たち』 石丸煕/著 新人物往来社 1993年 【K1 210.42】 P42~ 鎌倉の武士人口
- 『中世都市鎌倉の風景』 松尾剛次 吉川弘文館 1993年 【210.4】 P21~23 史料からわかる鎌倉の人口
- 『岩波講座日本経済の歴史 1』 深尾京司/編集 岩波書店 2017年 【K 332.1】 P74 中世都市の推計人口
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『よみがえる中世3 武士の都鎌倉』 平凡社 1989 【K1 210.4】
- キーワード
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- 鎌倉
- 中世
- 人口
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 中世の日本全体の推計人口については『図説 人口で見る日本史』(鬼頭宏 PHP 2007)が読みやすい。 P69コラムには鎌倉由比ガ浜の人骨から推定する15歳時の余命もあり。
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000108373