レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018年06月28日
- 登録日時
- 2018/07/11 12:28
- 更新日時
- 2018/09/12 14:43
- 管理番号
- 名古屋市鶴-2018-010
- 質問
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解決
戦時中、御器所小学校に通っていて、三河地方に集団疎開をした。疎開先の寺がどこだったか知りたい。
- 回答
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『御器所 八十年の歩み』によると、当時は御器所国民学校で、愛知県宝飯郡御津町(現在の豊橋市御津町)に疎開しました。三年生が長松寺、四年生が敬円寺、五年生が光昌寺、六年生が大恩寺に分宿したとあります。また、『御津町史』には、大恩寺、敬円寺、入覚寺、長松寺に分宿したとあります。
- 回答プロセス
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『愛知県教育史』を調べると、第四巻p.645に「宝飯郡御津町」とありましたが、具体的な寺の名前までは掲載されていませんでした。御器所小学校に通っていたとのことだったので、学校史を調べると『御器所 八十年の歩み』に疎開先についての詳しい記述がありました。『御津町史』を調べると、p.681-683に「学童疎開受け入れ」という項目で、御器所国民学校の疎開受け入れについて記述がありました。一部は、『御器所 八十年の歩み』から引用されています。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 参考資料
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御器所小学校/編 , 名古屋市立御器所小学校. 御器所 : 八十年の歩み. 名古屋市立御器所小学校, 1954.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I026826076-00 -
愛知県教育委員会. 愛知県教育史 第4巻 (近代 2). 愛知県教育委員会, 1975.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001190281-00 -
御津町町史編さん委員会/編 , 御津町. 御津町史 : 愛知県宝飯郡御津町 本文編. 御津町, 1990.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I026414822-00
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御器所小学校/編 , 名古屋市立御器所小学校. 御器所 : 八十年の歩み. 名古屋市立御器所小学校, 1954.
- キーワード
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- 御器所国民学校
- 集団疎開
- 愛知県宝飯郡御津町
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000238373